第9回早朝の大地震、「日常のもの」が凶器に 命奪われた医師と家族の願い

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稲垣大志郎

日本では、いつどこで大地震が起きるかわからない。能登半島地震の被害全容は今も明らかになっていない。首都直下地震は今後30年以内に70%の確率で起こるとされる。どうすれば被害を減らせるのか。都市部が襲われ、6434人が犠牲となった1995年の阪神・淡路大震災の遺族や消防士、専門家のメッセージを伝える。

 「家はちゃんと立っているのに、なんでそんなことが……」

 阪神・淡路大震災が起きた日の昼ごろ、妹の中條(ちゅうじょう)聖子さん(当時29)が犠牲になったとの知らせを受け、大阪府寝屋川市の医師、鉄子さん(65)は、タクシーや、途中で借りた自転車を乗り継ぎ、神戸市東灘区の実家へ急いだ。

 倒れた電柱、段差のできた道路、火災現場をよけながら、暗くなってようやくたどり着いた。倒壊しているかも、と思っていた木造2階建ての家はそこに残っていた。

 大地震は、その日の早朝に起きた。実家の1階で寝ていた母、恵子さん(87)は直後に階段を駆け上がり、2階で寝ていた聖子さんの部屋に入った。満杯に詰め込まれた木製の本棚が聖子さんの上に倒れていた。

記事には、阪神・淡路大震災の遺族や消防士らの証言を元に、被災状況を再現した詳細な描写が含まれます。

 「聖ちゃん!」。声をかけた…

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