「豊ほどではなくても」 尾崎豊の兄、弁護士会長としての思い

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聞き手・野口駿

 埼玉弁護士会長の尾崎康さん(63)は、弟の死がきっかけで弁護士になった。弟は、鋭い感性で社会の不条理を歌い、1992年に26歳で亡くなったシンガー・ソングライターの尾崎豊さん。弁護士として少年事件の当事者に寄り添ってきた尾崎さんの半生と、死後もファンから支持され続ける豊さんへの思いを聞いた。

 尾崎さんは豊さんの5歳年上で東京都練馬区で生まれた。早稲田大学法学部を卒業後、裁判所の事務官になった。2年目の時、同僚に誘われ、司法試験への挑戦を始めた。

 ――裁判所の事務官になってから、司法試験の受験を始めたのはなぜですか。

 「大学卒業後、公務員試験を受験して、受かったのが裁判所職員試験でした。当時は法曹三者(裁判官、検察官、弁護士)になりたいとは思っていませんでした。『尾崎が司法試験に受かったら、裸で逆立ちする』と友達に言われたりしました」

 「裁判所内にあった書記官研修所というところで、司法試験受験サークルを主催していた同僚から誘われました。新婚だったので最初は嫌だなと思ったのですが、結局、参加し始めました。そこから司法試験を意識するようになって、受験を始めました」

 ――司法試験合格を目指し、裁判所を辞められた。

 「裁判所の仕事も楽しかったです。裁判所から留学の誘いや出世の話もありました。ただ実力的に、勤めながらの受験ではなかなか受からないなと思いました。このまま書記官として人生を過ごすか、当時28歳で人生の岐路にたたされました」

 「悩んだ末、司法試験に集中しようと、裁判所を辞めたんですよね。色々勉強してきたこともあり、辞めがたかったんですよね。裁判所を辞めてから、次の1回までは受けようと思ったんだけど、それもダメだった。それで生活のため、司法試験はやめて塾の講師になりました」

 ――塾講師になったのはなぜですか。

 「子どもが好きなんですよね。いずれは尾崎塾を開き、子どもに囲まれながら楽しい人生を過ごそうと思っていました。受験合格を目指し子どもと泣いたり笑ったり、毎日が本当に楽しかったです」

豊さんの突然の死 損害賠償の交渉

 そんな時、弟の豊さんが亡くなった。塾講師として、新しい人生を歩み始めた尾崎さんに突然、転機が訪れる。

 ――弟の豊さんが亡くなった後はどうしましたか。

 「豊が死んで塾を辞め、豊が作って社長をしていた事務所『アイソトープ』に入りました。豊は最後のアルバムを作り終えて、1年間のツアーの手配を終えた段階で亡くなった。それで損害賠償が何億円もあると言われ、豊の奥さんもまだ若かったので、自分が損害賠償の交渉をしたんですよね」

 「ところが、損害賠償の話がだんだんなくなってきた。前売りのチケットを売っているけど、ファンの人たちがチケットを持っていたいと払い戻しに来なかったんですよ」

 「あと、最後のアルバム『放熱への証(あかし)』が生前以上に売り上げたんですよね。それで、すごいお金が入ってきて、事務所の経営は大丈夫だということになり、経営を関係者に譲りました。元々はたまたま兄だったからやってただけなのでね。本当にファンの皆さんに支えられました」

 ――そこからなぜ再び司法試験の勉強を始めたのですか。

 「音楽事務所を辞め、生活が落ち着き、これからの人生を考える中で、もう一度司法試験に挑戦しようと思いました。実家の部屋が空いていたので、そこを使って勉強を始めました」

 「1日約12時間は勉強をしました。事務所を辞めて翌年の試験は落ちてしまいました。あと1回だけにしようと、背水の陣で臨んだ1994年の司法試験に33歳で合格しました。自分でも信じられなくて、法務省前の掲示板と駅を往復して、何度も結果を見に行きました」

記事の後半では、「僕は豊の曲は『反権力』などという捉え方はしていない」と話す尾崎さんに、豊さんの音楽についての思いを聞きました。

不登校 兄のギターを手に取った

 尾崎さんの弁護士活動には豊さんの影響があった。一方、豊さんが音楽を始めたきっかけにも尾崎さんの存在があった。

 ――尾崎さんの目から見て、豊さんはどんな少年時代を過ごしていたのですか。

 「豊はとても感受性の強い子…

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    増谷文生
    (朝日新聞論説委員=教育)
    2023年12月19日11時36分 投稿
    【視点】

    偶然ですが、1週間ほど前、尾崎豊が亡くなった場所が今どうなっているのか、とふと頭に浮かび、近々訪ねてみようと足立区のその場所を確認したところでした。一時は若者たちの聖地のようになっていた場所は、今どうなっているのかと。  私は尾崎豊が全盛期

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