関東大震災時に流言伝えた新聞 政府やメディアは誤情報止める役割を

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記者解説 編集委員・北野隆一

 1923(大正12)年9月1日に関東大震災が発生した。直後から「朝鮮人が集団で襲撃に来る」「井戸に毒を入れた」といった流言が広がり、多数の朝鮮人や中国人が殺された。ラジオ放送が始まる前の時代で、主要なマスメディアだった新聞は何を伝えたのか。

 東京の新聞社のほとんどは社屋の倒壊や焼失で壊滅的被害を受け、通信や交通も途絶した。首都の大混乱が地方に広がり、地方紙の多くは避難した人々が伝える流言を裏付けを取らないまま報じた。

 政府は9月2日、緊急勅令として戒厳令を公布した。3日には警察を統括する内務省警保局が各新聞社に対し、朝鮮人の妄動に関する風説は虚伝に亘(わた)る事極めて多く、虚説の伝播(でんぱ)は徒(いたずら)に社会不安を増大するものであるなどとして、「朝鮮人に関する記事は一切掲載せざる」よう警告した。

 7日には「犯罪を煽動(せんどう)し、安寧秩序を紊乱(びんらん)する目的をもって治安を害する事項を流布し、人心を惑乱する目的で流言浮説をなしたる者」を罰する、いわゆる「治安維持令」を公布した。2年後の治安維持法成立につながるものだ。

 震災後に発生した流言の多くは朝鮮人による暴動などに関する内容だったが、当局は朝鮮人に関する記事の一切を差し止めた。このため朝鮮人や中国人が多数殺傷された事件も報道できなくなった。

 政府が報道を解禁したのは1…

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