歴史を通じた日韓交流に傾注 奈良女子大名誉教授の中塚明さんを悼む
「過去を直視しないと、未来は開けない。あまりにも知らなすぎる」
10月29日に94歳で亡くなった奈良女子大名誉教授の中塚明さんの言葉だ。日韓の歴史認識の溝を埋めるには、明治期の日清戦争(1894~95年)から昭和の敗戦(1945年)まで半世紀に視野を広げ、日本が朝鮮で何をしたかをつぶさに見るのが肝要と説いた。
ソウルの中心部にある景福宮(キョンボックン)。いまはチマ・チョゴリ姿の外国人観光客でにぎわう朝鮮王宮に1894年7月23日未明、日本軍が門を破壊して侵入し、護衛の朝鮮兵を銃撃戦の末に制圧し、王宮を占領した。日清戦争の背景になった事件だ。
中塚さんは福島県立図書館が所蔵する旧日本軍の戦史草案に記された当時の経過を丹念にたどった。奈良女子大を定年退職後の1994年夏、日清戦争から100年の年の歴史研究会で発表。「護衛兵らが発砲したので応戦した」とする従来の説を覆し、周到に計画された王宮占領だったことをつまびらかにした。
事後に編纂(へんさん)された資料ではなく、その元になった一次資料にあたる姿勢を、研究者として貫いた。明らかになった事実を社会に幅広く伝えるため、晩年まで歴史を分かりやすく説く本を書き続けた。
大阪の生駒山のふもとの地主の家に生まれた。太平洋戦争下、「お国のために死ぬ覚悟をしていた軍国少年」は海軍兵学校予科で思わぬ敗戦の日を迎えた。米軍の沖縄占領など事実を伝えられていなかったと後に知った。
戦後、日本史を教わった高校…
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