「敵」とも手を結んだキッシンジャー氏 冷徹な現実主義、世界を設計
二つの大戦の戦間期に欧州で生まれ、ナチズムの暴虐から逃れて米国に渡った少年は、いまに至る世界の枠組みを設計する戦略家となった。29日に死去したヘンリー・キッシンジャー氏の歩みは、現代史とそのまま重なる。大国間の「力の均衡」を重視する冷徹な現実主義者であり、ロシアのウクライナ侵攻などに揺れる足元の世界情勢にも警鐘を鳴らしていた。
「外交というアート(技巧)とは……ただ性急に反応するのではなく、目標に向かって段階を踏むことだ」。2019年7月、米国務省での式典に登壇したキッシンジャー氏は、90歳代半ばとは思えない太い声で、聴衆に語りかけていた。
話題は自らの青年期に及んだ。「(ユダヤ人難民として)15歳でドイツから米国に来た時、私は英語を話せなかった。世界における米国の役割は何か。私は歴史の探究を通じてそれを学んだ」。戦後の米外交を仕切ったキッシンジャー氏の原点だった。
国益の追求こそ国家の本性である。国々の「力の均衡」によってこそ、国際秩序は守られる。国家の力の源泉は軍事力であって、必要とあれば行使をためらうべきではない――。
外交の原則はそんな徹底したリアリズム(現実主義)だった。譲歩を小出しにしつつ大きな合意を迫り、結果を得るためなら隠密行動も辞さず、時には価値観を異にする「敵」とも手を結んだ。
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