京の紅葉の名所・東福寺、国の登録文化財になる「通天橋」の秘話とは
京都随一の紅葉の名所として知られる臨済宗東福寺派大本山の東福寺(京都市東山区)。真っ赤なモミジの海原に浮かんでいるかのような錯覚を覚える「通天橋(つうてんきょう)」「通天台(つうてんだい)」など計11件が、国の登録有形文化財に登録される。そんな東福寺の紅葉にまつわる、知られざる歴史とは――。
寺伝によると、通天橋は1380(天授6)年の建立。本堂(法堂〈はっとう〉)と、東福寺を開いた聖一国師をまつる開山堂を隔てる洗玉澗(せんぎょくかん)と呼ばれる渓谷を僧侶が往来しやすいよう架けられた。天正地震の後、豊臣秀吉によって1597(慶長2)年に修復された。
1959(昭和34)年の豪雨で崖崩れが発生し、通天橋は大音響とともに落下したと伝わる。その後まもなく再建された橋の橋脚は鉄筋コンクリート造りで、秀吉時代の部材は通天台に転用された。
通天橋の足元には約2千本のモミジがあり、コロナ禍以前は紅葉のシーズンだけで35万人が訪れたそうだ。2016年には、橋の上で長時間立ち止まったり、高さ約1メートルの欄干から身を乗り出したり腰を掛けたりして写真撮影する人が増えて危険だとして、通天橋と、通天橋を望む臥雲橋(がうんきょう)からの写真撮影を一時禁止したこともあった。昨秋の人出は17万人だった。
禅寺の東福寺には桜の木はほとんど植えられていない。咲き誇る桜の花は僧侶の心をも浮き立たせ、惑わせると考えられたためだ。東福寺本堂に掲げられている「大涅槃(ねはん)図」を描いた画僧明兆は、時の室町将軍足利義持に、桜は修行の妨げになるからと境内の桜を切るよう願い出てすべて伐採したという。
ずっと疑問に思っていたことを、通天橋を案内してくれた爾(その)法孝・法務執事にぶつけてみた。桜のみならず、これだけ美しいモミジだって、お坊さまの修行の妨げになるのではありませんか、と。
すると、驚きの答えが返ってきた。
「実は明治時代に、桜と同様…