「第五福竜丸」の記憶を劇で紡ぐ 建造の地・串本で最終公演

伊藤秀樹
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 米国による水爆実験で被曝(ひばく)した漁船「第五福竜丸」の建造の地・和歌山県串本町で、船を物語にした演劇「わが友、第五福竜丸」が12月17日に上演される。東京を拠点にする劇団「燐光群(りんこうぐん)」が全国7カ所で予定し、串本で最終公演を迎える。

 1954年3月1日、米国が太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行った。爆心地より160キロ東の海上で操業していたのが静岡県焼津港所属の遠洋マグロ漁船、第五福竜丸だった。乗組員23人全員が被曝。半年後、元無線長の久保山愛吉さん(当時40)が亡くなり、原水爆禁止運動が広がるきっかけとなった。

 米国は同年3~5月にビキニ環礁などで水爆実験を6回実施。公益財団法人第五福竜丸平和協会によると、当時、延べ約1千隻の日本漁船が被害を受けたという。いまも高知県の元漁船員らが国に補償を求めるなどの訴訟が続く。被害は総称して「ビキニ事件」と呼ばれる。

 第五福竜丸は、旧古座町(串本町)の古座川の中州に当時あった造船所で47年、カツオ漁船「第七事代丸(ことしろまる)」として造られた。全長約30メートル、高さ15メートルの木造船。その後、転売され、マグロ漁船「第五福竜丸」になった。造船所は54年に廃業。中州は度重なる増水で流され、残っていない。

 被曝後は東京水産大学(現東京海洋大学)の学生の航海の練習船「はやぶさ丸」として使われた。67年、廃船になり、船は東京都のゴミの処分場であった「夢の島」の埋め立て地に放置された。それを知った市民のあいだで保存に向けた運動が広がり、76年、船を展示公開する東京都立第五福竜丸展示館が開館した。

 ビキニ事件から来年で70年。劇団「燐光群」主宰者で、劇作家・演出家の坂手洋二さん(61)は展示館で資料にあたり、串本も訪れて準備した。演劇は、第五福竜丸を「わが友」とよぶ乗員たちや、ほかの港から出港し同様に被曝した漁船と乗員たちの姿を描きながら、ビキニ事件以降に起きた核にまつわる事件を通して、未来を希求する作品という。

 事件の記録や保存にとりくむ串本町の「第五福竜丸建造の地平和の歴史展実行委員会」の西野政和・実行委員長は「戦火が世界に広まろうとしている今こそ、核と戦争の悲惨さを忘れないためにぜひ見てほしい」と話す。

 公演は12月17日午後2時、串本町文化センターで開演。定員600人。一般前売り2500円(当日3千円)。燐光群のウェブサイトから予約すると、当日の受付で代金と引き換えにチケットを受け取れる。(伊藤秀樹)

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