町内会機能が失われても 3・11「その時そして」命を守る(下)

有料記事

小幡淳一=この項おわり

 境内に続く階段の途中で振り返ると、木立の間に海が広がっていた。

 岩手県久慈市湊町の金刀比羅神社。大鳥居は、海岸線から住宅地やJR八戸線の線路を越えた約300メートル先にある。ここからさらに標高42メートルにある境内に行くには、曲がりくねった山道を進むか、159段の急な階段を上るしかない。

 神社には二つの碑がある。1934年建立の津浪(つなみ)記念碑と71年建立の津波記念碑。湊町がある地区は、明治三陸地震(1896年6月15日)と昭和三陸地震(1933年3月3日)に見舞われた。碑は、悲惨な歴史を語り継ぐために先人が残したものだ。

 「大津浪くくりて めげぬ雄心もて いざ追い進み 参い上らまし」

 津浪記念碑の表には当時の石黒英彦知事の和歌が刻まれ、裏には被害状況や天皇の勅使から御内帑金(ごないどきん)を受けたことなどが記されている。東京朝日新聞社(現在の朝日新聞社)が寄贈したという記載もある。

 津波記念碑も、被災状況に加え、「宿命的な惨事を再び繰り返さないように祈念する」と記されている。

大地震による津波浸水想定が建設当時の想像を上回り、避難タワーは使用中止となった。安全な避難場所までの急な坂道や階段を上れない高齢者たち。コロナ禍で近所付き合いが減り、町内会の機能は失われた。住民たちが助かるには一体どうしたらよいのか。

 県内では、明治三陸地震で1…

この記事は有料記事です。残り935文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません