78歳の元教員、紙芝居を作り演じて500回

富田祥広
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 男の子、おばあさん、芸者、外国人。声のトーンを巧みに変えて登場人物を多彩に演じ分ける。京都府宮津市の森山道子さん(78)は、約20年前に教員を退職してから紙芝居を始めた。上演回数はこの秋、節目の500回を迎えた。

 「お~お~、かしこそうな子じゃ。よい医者になるじゃろうなぁ」

 宮津市立図書館が11月3日に開いた催しで、森山さんは新作を披露した。

 主人公は江戸時代後期の蘭方医(らんぽうい)、新宮凉庭(しんぐうりょうてい、1787~1854)だ。

 現在の宮津市由良地区の貧しい漢方医の家に生まれた凉庭は、20代後半から長崎で西洋医学を学び、のちに京都で開業。南禅寺(京都市左京区)の前に京都初とされる本格的な西洋医学校「順正書院」を開き、後進の育成に力を注いだ。

 勉学に励む幼い頃、長崎に向かう道中での文人たちとの交わり、オランダ人医師のもとで学ぶ日々……。

 森山さんは、凉庭から7代目の子孫という新宮涼輔さん(69)=宮津市=に話を聞き、文献にもあたるなどして物語を書き上げた。作画も涼輔さんに頼んだ。

 涼輔さんは芸術大を卒業後、デザイン会社で西陣織の柄などを手がけていた。紙芝居の絵を描くのは初めてだったが、半年かけて四つ切り画用紙25枚の絵を仕上げ、森山さんのOKをもらった。

     ◇

 森山さんは兵庫県浜坂町(現・新温泉町)の出身。京都教育大を出て、夢だった教員の道に進んだ。

 宮津市などの小中学校に35年間勤務し、学芸会などでは毎年のように子どもたちとミュージカルや劇を上演した。シナリオは自ら書いた。

 57歳で退職する時、「地域と関わって生きていきたい」と思った。かつての上司だった先輩にこう言われた。一人でできることをやってはどうか――。

 思い立ったのが紙芝居だ。「ミュージカルのシナリオと楽譜を書き直せばできると思った」。幼い頃の記憶もよみがえった。「生まれた家が禅寺で、年の若い僧が紙芝居をやっていたんです」

 「細川ガラシャ」「丹後ちりめん」「北前船」……。京都府丹後地方にゆかりのある人物や歴史を題材にした新作にも意欲的に取り組んだ。史実や伝承に創作を加え、これまでに27作品を書き上げた。

 どの作品も一人で演じる。ただ、紙芝居は自分だけでは作れない。

 作画はつてを頼ってプロの絵描きなどに頼んだ。挿入歌の詞は自ら書いたが、作曲は知人らに依頼した。

 何よりうれしいのは、紙芝居を見に来てくれる人がいることだ。

 「大人も子どもも楽しいと思ってもらえたら」。そんな思いで学校や公民館、老人施設などで上演を重ねてきた。

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 新作「新宮凉庭」のお披露目がちょうど通算500回目の上演になった。

 主人公のはつらつとした口ぶり、思い悩んだような語り方、力強い口調。山場では歌もうたいあげた。

 会場を埋めた約90人の観客は大型スクリーンに映し出される絵を見ながら、森山さんの語りにじっと聴き入った。

 開演から約40分。森山さんが終わりを告げる拍子木を何度も打ち鳴らした。

 大きな拍手に包まれた会場で観客が口を開いた。「いやー、うまいなぁ」「よう勉強になった」

 「地域の偉人や英雄。努力を重ねた庶民。そんな人たちをこれからも紙芝居にしていきたい」。森山さんは取材にそう語った。

 501回目に向けて意気込みは? そんな問いにはやわらかな笑顔で答えた。

 「健康やね、やっぱり。一番大事なのは」(富田祥広)

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