「何もかも奪われた」 死亡した宝塚歌劇団員の遺族がコメントを発表

宝塚歌劇団問題

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 9月末に亡くなった宝塚歌劇団の劇団員の女性(25)の遺族は10日、「遺族の訴え」とのコメントを発表した。全文は以下の通り。

    ◇

 娘の笑顔が大好きでした。

 その笑顔に私たちは癒やされ、励まされ、幸せをもらってきました。

 けれど、その笑顔は日に日に無くなっていき、あの日、変わり果てた姿となり二度と見ることが出来なくなってしまいました。くりくり動く大きな瞳も、柔らかい頰も、いとおしい声も、何もかも私たちから奪われてしまいました。

 「どんな辛(つら)いことがあっても舞台に立っている時は忘れられる」と娘は言っていました。けれど、それを上回る辛(つら)さは、忘れられる量をはるかに超えていました。宝塚歌劇団に入ったこと、何より、宙組に配属された事がこの結果を招いたのです。

 本当なら、今年の夏に退団する予定でしたが、突然の同期2名の退団の意向を知り、新人公演の長としての責任感から、来春に延期せざるを得なくなりました。それは、娘自身の為(ため)ではなく、自分が辞めたら1人になってしまう同期の為(ため)、そして下級生の為(ため)でした。

 あの時「自分のことだけを考えなさい」と強く言って辞めさせるべきでした。

 なぜそう言ってやらなかったのか、どれだけ後悔してもしきれません。

 大劇場公演のお稽古が始まった8月半ば以降、娘の笑顔は日ごとに減って辛(つら)く苦しそうな表情に変わっていきました。それは、新人公演の責任者として押し付けられた膨大な仕事量により睡眠時間も取れず、その上、日に日に指導などという言葉は当てはまらない、強烈なパワハラを上級生から受けていたからです。その時の娘の疲れ果てた姿が脳裏から離れません。傍(そば)にいたのにもかかわらず、切羽詰まっていた娘を救えなかったというやりきれない思いに苛(さいな)まれ続けています。

 劇団は、娘が何度も何度も真実を訴え、助けを求めたにもかかわらず、それを無視し捏造(ねつぞう)隠蔽(いんぺい)を繰り返しました。

 心身共に疲れ果てた様子の娘に何度も「そんな所へ行かなくていい、もう辞めたらいい」と止めましたが、娘は「そんなことをしたら上級生に何を言われるか、何をされるかわからない、そんなことをしたらもう怖くて劇団には一生行けない」と涙を流しながら必死に訴えてきました。

 25歳の若さで、生きる道を閉ざされ、奪われてしまった娘の苦しみ、そして、あの日どんな思いで劇団を後にしたのかと考えると、胸が張り裂けそうです。私たちは、声を上げる事も出来ず、ひたすら耐え、堪え、頑張り続けてきた娘に代わって、常軌を逸した長時間労働により、娘を極度の過労状態におきながら、これを見て見ぬふりをしてきた劇団が、その責任を認め謝罪すること、そして指導などという言葉では言い逃れ出来ないパワハラを行った上級生が、その責任を認め謝罪することを求めます。

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