広い空と太平洋の水平線。岬に立つ白亜の塩屋埼灯台は12年前と変わらない。今、かさ上げされた県道や防災緑地帯が、砂浜と真新しい集落とを隔てている。
「私の家は、あの辺の10メートル下にあった」。大谷慶一さん(75)は、かさ上げされた場所を指して言った。津波で100人以上が亡くなった福島県いわき市の平薄磯(たいらうすいそ)地区にある「いわき震災伝承みらい館」で、語り部として週2、3回、自身の体験を話している。心の奥底は誰にも明かせないまま――。
あの日、大きな揺れの後、自宅から約200メートルの浜に行くと、海の水が引いて海底がはるか遠くまで見渡せた。自宅に駆け戻り、妻(71)に叫んだ。「でかい津波が来るぞ。てんぐ様に逃げろ」
妻と立ち話をしていた近所の90代の女性を背負い、自宅裏山の神社「てんぐ様」に向かった。51段ある石段の下まで来たところで、女性が背からずり落ちた。
振り返ると、海側の家々から土ぼこりが上がるのが見えた。妻は片手で愛犬を抱え、女性の手を握っていた。その女性は、居合わせた70代女性とも手をつないでいた。
「ばっぱの手え離せ!」
妻と手をつないでいた90代女性のおびえたような視線と合ったが、そのまま石段を駆け上がった。4人の中で神社にたどり着いたのは、大谷さん夫婦だけだった。
「心が固くふたを」
女性2人は津波にのまれた…