親が24時間責任を持つべきか 否定しづらい「子どもの安全」の下で
埼玉県の虐待禁止条例の改正案は、多くの批判を受けました。教育社会学者の桜井淳平さんは、今回は「子どもの安全」について、親に従来なかったほど大きな責任が求められたため、と指摘します。なぜそんなことが起きたのでしょう。
――埼玉県虐待禁止条例改正案をめぐる出来事をどう見ましたか。
「『安全』にここまで振り切れるのは非常に珍しい、というのが率直な印象です。実際多くの人が、極端すぎると受け止めました」
「私は『子どもの安全』が社会の中でどう語られるか、を研究しています。2001年の大阪教育大付属池田小事件に端を発し、学校内や登下校中などの子どもの安全への関心が高まった時期を中心に、新聞記事や国会での発言、防犯のマニュアル本などを分析してきました」
――「子どもの安全」の語りには、どのような特徴があるのですか。
「『子どものため』『安全安心』は、いずれも異を唱えにくいスローガンで、政策を進める上でもよく利用されます。『子どもの安全』は、その二つを抱き合わせたマジックワードです」
「しかし通常は、安全一辺倒にはなりません。道草を食う子どもだけの時間も成長には大事だ、知らない人はみんな不審者だと教えるのは寂しい――。そうした『健やかに育ってほしい』というもう一つの大きな目標が、安全への対抗言説として現れます。『安全と教育のジレンマ』の間で折り合いをつけているのです」
「しっかりするべき」親
――改正案が、ジレンマなく「安全」に振り切れているのはなぜでしょうか。
「いくつかの理由が考えられ…
- 【視点】
記事内で指摘されているように、日本では「子どものため」を持ち出す政策言説は多いが、それは実は「子ども」を盾にとって、その保護者である大人をコントロールしようとする意図に基づいている場合がしばしばある。大半と言ってもよいだろう。 「子ども」の
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