行きたいのに、行けなかった学校 フリースクールへの「懸念」よりも

有料記事ダイバーシティ・共生

哲学者・三木那由他=寄稿

Re:Ron連載「ことばをほどく」第3回

 10月17日の滋賀県首長会議で、小椋正清・滋賀県東近江市長の口から、フリースクールは「国家の根幹を崩しかねない」という発言があったという。また、小椋市長は「無理して無理して学校に行っている子に対して、『フリースクールがあるんだったらそっちの方に僕も行きたい』という雪崩現象が起こるんじゃないか」とも言っていたらしい。

 これらの発言には違和感を覚える点がいくつもある。第一に、「国家の根幹」で何を想定しているのか不明瞭だというのがある。第二に、「無理して無理して学校に行っている子」に対して無理の強制を続けるべきだというのが前提になっているように見えるが、本当に「無理して無理して」いるならそんなふうに強制するよりもまず適切なサポートが必要なのではないかとも思う。

 ただ、そういったことよりももっと根本的な違和感を、「現在、標準的な学校に通っている子がフリースクールを希望するようになる」という考え方に覚えてしまう。

 あちこちで話していることだが、私は中学時代に不登校を経験した。1年生の秋ごろから、1年間ほど学校に行けなくなったのだ。2年生のあいだにどうにか復帰はしたものの、その後も休みがちな傾向は続いた。高校でも不登校にこそならなかったものの、3年間で出席が足りた年は一度もなく、補講を受けてどうにか進級・卒業するありさまだった。

 私の場合、これにはいくつかの要因が重なっていたように思う。

 当時は自覚していなかったが、いま思えばこのころから周囲に期待されている「男性」という性別でうまく生きられない感覚が強まっていたというのもあった。「男子」に分類され、どうにか周りの男の子たちと同じグループに属し、言動をまねて暮らそうとしていたが、そのストレスが蓄積されていたのだろう。体育の授業や水泳の授業を受けなければならないことからのストレスもあっただろう。復帰後も、体育の授業がある日はできるだけ避けたり、体育が終わってから遅刻して登校したりしていた。

体調不良、心ない言葉、いじめ、それでも

 また、いまも続く睡眠障害が…

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