「エビデンス」がないと駄目ですか? 数値がすくい取れない真理とは

有料記事こころのはなし

聞き手・真田香菜子
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 何をするにも合理性や客観性が求められ、数値的なエビデンス(根拠)を示せと言われる時代。そのうち、仕事でもAI(人工知能)が導く最適解に従うことになるのかもしれない。なんだか自分の感覚や経験則には、なんの価値も無いような気がしてしまう。「客観性の落とし穴」(ちくまプリマー新書)の著者で、大阪大学教授の村上靖彦さん(53)に、エビデンス重視の世の中にどう向きあえばいいか聞いた。

数値データがないと耐えられない

 ――著書が売れています。社会の動きだけでなく、人の気持ちも数値化していった結果、失われたものがあるのではないかというテーマの本です。

 会社員の方からの反響が大きかったです。みんな数字に追われてつらいのでしょう。SNSでも、データを持ち出してきて、自分の気に入らない投稿を批判するような書き込みが目につきます。エビデンスという道具を使って、他者をたたきたいという暗い欲望が蔓延(まんえん)しているように感じます。

 ――教え子の大学生たちから、「先生の考えに客観的な妥当性はありますか」と聞かれることもあるそうですね。

 僕の研究は、ヤングケアラーや看護師、困難を抱えている当事者たちの語りを分析する内容で、数値的な証拠は積み上げない。まだ統計の意味をしっかり学んでいない若い学生は、数値データを使わないことに耐えられないのかもしれません。現代社会では、客観性や数字的なエビデンスこそが真理だとされているので、無理もありません。

 しかし、個人のそれぞれの経験のなかにも、普遍的な事実はあるはずです。語りの中に小さく折りたたまれた細部を読み解き、語り手の内側にある視点から社会構造を描くと、どうして差別が生まれるのか、困難な状況に追い込まれる人がいるのかが見えてくる。数値的なエビデンスや客観性がとる視点とは逆向きの視点の置き方ですね。

 ――たった1度の個人の経験も学問になるのですか。

 挑戦的な研究だとは思います。「客観性」という言葉が普及したのは19世紀半ば以降といわれていますが、自然科学を中心とした近代的な学問では、再現性や統計的な蓋然(がいぜん)性が重視されてきました。でも、個人的な体験の中で感じたことはその人にとっても一つの真実です。同時に誰にとっても意味のあるものになり得る。小説や映画はそうした経験をとらえ、多くの人に伝わる表現に落とし込んでいますが、僕らはそれを現象学で試みている。エビデンスが重視される世界のなかで、個別的な経験から普遍的な意味を取り出すことの意味を問い直したいと思っています。

「エビデンスに殴られている」 分断の道具に使われる客観性

 ――去年、小学生の間で「それってあなたの感想ですよね」というフレーズが流行しました。論破ブームも続いています。いつでも数値的な根拠が必要で、自分の経験や考えには価値がない気がしてしまいます。

 数値的な有用性を示せないと…

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    サンキュータツオ
    (漫才師・日本語学者)
    2023年10月31日17時30分 投稿
    【視点】

    村上さんのプロフィールにもありますが、このように数字やデータ以前に、ひとりひとりの内面を掘り下げて考えるアプローチを「質的研究」と呼びます。学問の世界ではスタンダードな手法のひとつです。 数字やデータを信用しすぎる人こそ、陰謀論に陥りやすい

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    増田ユリヤ
    (ジャーナリスト)
    2023年10月31日17時30分 投稿
    【視点】

    『客観性の落とし穴』よくぞ言ってくれた!こんなことを文章にしてくれる人がいるんだと衝撃を受け、すぐに入手、拝読した。数値的な証拠や客観的な妥当性こそが真実だという世の中に、私自身、常日頃から息苦しさを覚えているし、もっと言ってしまえば「数字

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