第5回あいまいな「不安」、扇動の先にある暴力 トランス女性が抱く懸念

有料記事私の性別を生きる

聞き手・二階堂友紀

 トランスジェンダーが戸籍上の性別を変えるには性別適合手術が必要だと定める「性同一性障害特例法」。二つの「手術要件」のうち、生殖能力の喪失を求める「生殖不能要件」について、最高裁大法廷が憲法違反との判断を示しました。

 特例法は当事者たちのどんな思いからできたのか。激化するトランス差別にどう向き合えばいいのか。2003年の法制定当時にロビー活動に携わり、現在も社会への発信を続ける野宮亜紀さんに聞きました。

 ――法律ができる前の1990年代、当事者を取り巻く状況はどのようなものでしたか。

 90年代の前半まで、性別への違和感を持つ人たちのありようは、一般的には「趣味」や「嗜好(しこう)」の問題と受け止められていました。「人権」の問題として捉えて、社会的な議論が起きるようになったのは、90年代の半ば以降のことです。

 ――当事者運動はいつごろから始まったのでしょうか。

 94年7月に虎井まさ衛さんがミニコミ誌「FTM日本」を創刊し、トランス男性として情報発信を始めました。

 95年8月には横浜での「世界性科学学会」に合わせて、シンポジウム「日本におけるトランスセクシュアリズム」が開かれました。当事者が医師や専門家と同じステージで議論したという点で、画期的な出来事でした。

 96年8月には、森野ほのほさんが「TS(トランスセクシュアル)とTG(トランスジェンダー)を支える人々の会」を立ち上げ、私も途中から運営に携わりました。名称は後に「Trans―Net Japan(TNJ)」と変わりました。

「司法での解決は絶望的」

 ――法律の制定に向けた機運は、どのように高まっていったのでしょうか。

 性別への違和感を持つ人たちは、分かっているだけでも70年代から、家庭裁判所に対して、戸籍の続き柄の訂正、つまり性別の記載を変える申し立てを起こしていましたが、却下が続いていました。

 そんな中、日本精神神経学会が97年に「診断と治療のガイドライン」を初めて策定し、埼玉医科大が98年に国内初の公の治療として性別適合手術を実施しました。そして01年、虎井さんら国内で手術を受けた6人が、戸籍の訂正を求める一斉申し立てを行いました。

 ところが、この訴えも却下さ…

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