それぞれの最終楽章・離婚した両親をみとって(6)
フリーライター 堀香織さん
2015年10月、母の病気が「多系統萎縮症」だと判明した。67歳だった。
これは体を動かす機能が徐々に失われていく神経の難病だ。離婚し、1人で3人の子どもを成人するまで育て上げた後、62歳で仕事をやめて生家のある静岡県下田市に引っ越し、恋人にも恵まれ、気ままに暮らしていた最中だった。
翌16年2月、3歳下の弟が東京都東村山市にある自宅の一戸建てに母を引き取り、食事と通院の世話を始めた。8月、難病認定。すでに歩行器なしでは歩けなくなっていた。この時は、弟の体力・気力と母の病状とを考慮しながら、どこかの時点で私が交代して面倒を見ようと思っていた。
だが、病気の進行は予想以上に早かった。
小平市の国立精神・神経医療研究センター病院に検査入院した17年6月、「もう自宅療養は難しい」と判断された。寿命はあと5年と見込まれ、ケースワーカーと弟と私はそれぞれ施設を探し始めた。弟は自宅から車で片道20分のセンターにいる母のもとに毎日10分、顔を出した。私は当時鎌倉に住んでいて、2週間に1回、2、3時間、見舞った。
この時期、母にとって「大き…