使い捨て時代を考える会 発足50年

聞き手・下地毅
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 NPO法人使い捨て時代を考える会(京都市下京区)が発足50年をむかえた。14日に集いをひらく。

 1973年、京都大の助教授だった宇治市の槌田劭(たかし)さん(87)がよびかけた。高度経済成長で到来した大量生産・大量廃棄・環境破壊の時代に「このままでは世の中がもたない」と考え、近所をリヤカーでまわる古紙回収からはじめた。

 活動はひろがっていく。すこし例をあげると、水問題を考えてのせっけん使用運動だったり、ごみ減量のための牛乳パック回収だったり、86年のチェルノブイリ原発事故をうけての脱原発運動だったりだ。

 そのなかで「食」は一貫して柱になっている。有機生産者と消費者とが共同購入で支えあう関係をつくろうと75年に安全農産供給センターを設立した。

 が、これも一例にすぎない。会員の江副由紀子さんは子育て支援もしていて、昔ながらの食の知恵が台所から消えかかっていると案じ、考える会ではミソや梅干しといった保存食づくりの継承に力をいれている。

 入会のおさそい小冊子には「どんな活動をしているのか? たくさんやってます。が、すっきり返事できません」とある。これが象徴するように、会員それぞれが環境と食への考えを持ちよって実践する場になっている。

 集いは14日午後2時、京都市南区の京都テルサ東館3階大会議室。食と農の歴史に詳しい藤原辰史さんの講演と交流会(1千円)がある。NPO法人使い捨て時代を考える会(075・361・0222)へ。

     ◇

 槌田さんに話を聞いた。

 ――発足時はどのようなことを考えていましたか。

 飢える未来がくると確信していました。敗戦後の食糧難の体験もありますが、農家を大切にしないことがあたりまえの時代になっていましたから。外国に頼るのもまちがいです。助けあう関係は大事ですが、この関係ではどうにもならない一線をこえたときにどうするのか。農地をつぶしてあたりまえ、輸入してあたりまえの今の「幸せ」は錯覚です。

 ――なぜ「あたりまえ」になったのでしょうか。

 カネですよ。経済の本来の意味は「世の中の道筋を正して民を救う」でしょう。ところが高度経済成長はカネまわりがよくなることだけを意味していた。食べものからもっとも遠いところにあるカネに支配されて、生きることから遠ざかってしまいました。

 ――1974年、四国電力伊方原発1号機の原子炉設置をとめようとする訴訟で住民側証人として法廷に立ち、専門の金属物理学の視点から原子炉のもろさを語りました。勝訴を確信したのに結果は敗訴。判決の日の78年4月25日、「原発と民主主義は両立しない」「科学技術の世界にいること自体が罪だ」という考えに至ります。翌年に京大をやめましたね。

 あれは司法が政治の下僕になった瞬間でした。夜、帰りの船から黒い波がうしろへうしろへと流れていくのを見て「滅亡」ということばが浮かんできました。

 ――「それなら電気もつかうな」にどう反論しますか。

 私たちは今こうしてファストフード店でコーヒーを飲んでいます。矛盾もいいところです。この矛盾を認めるしかない。人間は矛盾の中でしか生きられない。矛盾があるからどうにかして解消したいという実践がうまれます。矛盾を恐れるならば黙ってなにもしないことが一番です。

 ――実践のひとつが庭の畑をしていることですか。

 ただ楽しんでいるだけです。自給や自立につながるからという思いがあったとしてもそれはそれです。種をまくと芽がでる。庭の雑草を摘んでミキサーにかけてジュースにして飲む。めでたいな、食べられる草があることは幸せだなと思う。その現実と習慣の中で納得して生きている。

 ――楽しむことが大事だと解釈していいですか。

 わかりませんねえ。人間は理屈で生きていないし、ひとつの答えが用意されていることもない。「使い捨て時代を考える」というと分かりがよくなる。捨てるのはいかんという価値観がでてくる。それにしばられて考えているつもりになっている自分が顔をだす。

 僕は多くの人に支えてもらって生きている。でもだれのお世話になっているのかわからない時代に生きている。……どこまでもすっきりしないですね。すっきりしないから考える。考えてもたかが知れている。思うようにならんのですわ。(聞き手・下地毅)

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