恩師の暴力、否定できた選手に思う 元五輪代表井本直歩子さんの回顧
連載「スポーツと暴力 その影響と根絶への道」の4回目「たたかれる指導でずれた感覚 『考えることが苦手になった』選手の今」(9月9日配信)は、暴力的指導がなくなった今も苦しむ体操選手・宮川紗江さんを取り上げています。五輪競泳元日本代表の井本直歩子さんはコメントプラスを通じ、現役の選手がコーチからの暴力と弊害について自己分析し、それを言葉にできていることに驚いたといいます。自身も恩師から受けていた暴力を顧みた上で、「おかしいことはおかしい」と言えなければならない――と、スポーツ界へ投げかける井本さんの寄稿です。
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今から5年前にコーチからの暴力などで注目を浴びた、体操選手の宮川紗江さんの現在の姿や思いを綴(つづ)る記事を、驚きつつも、共感しながら読みました。
当時、コーチの激しい暴力を受けながらも当初は「自分は(暴力の)被害を訴えていない」と語っていた宮川さんが、その後は包み隠すことなく暴力の事実を語るだけでなく、今では「コーチが抑圧的だと選手は話せなくなると身をもって知りました」と暴力の弊害について自己分析できていることにとても驚きました。まだ24歳で、現役。どのようなプロセスで、自分に起こっていたことを客観的に理解できたのかなと興味が湧きました。
なぜかというと、水泳選手時代の私が受けた暴力・パワハラの経験を公に口にするのに、とても時間がかかったからです。
表立って否定できずにいた現役時代
私は現役を引退後、途上国開発援助の道に進み、子どもの人権を守る機関で教育専門家として13年以上働いてきました。ですから、人権の観点からも、子どもの発達や教育の観点からも、暴力、パワハラは即座に否定します。それなのに、こと自分自身が選手時代に受けた暴力の体験に関しては、暴力を受けていたころから25年以上経っても、表立って否定できないでいたのです。宮川さんの記事を読んで、自分のことについて真剣に考えてみました。
私は宮川選手ほどの激しい暴力的指導を経験したわけではありません。しかし、コーチに手を上げられたことは何度もありました。小6で名門スイミングクラブに勧誘され、中1で親元を離れて寮に入りました。「鍛練(たんれん)期」は練習で毎日怒鳴られながら、限界を超える努力を強いられました。チームの皆が常に精神的にギリギリまで追い詰められていて、練習のタイムが遅くて素手や竹刀で頭をたたかれることもありました。
練習以外でも、消灯時間を過ぎてベッドの中で学校の宿題をしていたのが見つかって外出禁止になったり、男性の先輩にスタートを教わろうと撮った動画を見ながらアドバイスを受けていた時には「密室にいた」からと頭を殴られたりもしました。
理不尽さには憤りましたが、当時はパワハラという言葉もなく、オリンピアンを何人も輩出しているそのクラブではそういったやり方が当たり前で、耐えるより他ありませんでした。私自身も、多少殴られても大して気にとめていなかったのです。
オリンピックに出ること、強くなることが何よりも優先されていた世界で、そのスパルタ指導法は唯一の選択肢でした。実際に私は移籍後わずか1年間で急激にタイムを縮め、中2でアジア大会代表に選ばれ、個人種目で銅メダルを獲得しました。「先生にあんなに厳しく鍛えていただいたお陰で強くなることができた」と思うのは当たり前のことでした。
その後、科学的なトレーニング法に出合い、当時タブーだった、名門クラブから他のクラブへの移籍を果たし、記録を伸ばして、悲願のオリンピックにも出場できました。「あんなにしんどい練習をしなくてもよかったんだ」。そのとき初めて思いました。
今、恩師の指導はパワハラだ…
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