潮風香るバスケコート、かつては住宅地 交流と新たな記憶を生む場に

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平川仁
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 潮風がかすかに香る屋外のバスケットボールコート。「ゲーム(試合)やる人ー」。誰とはなしに声が上がると、中央に10人ほどが集まった。

 ストリートバスケのチームに所属する選手から、趣味として楽しんでいる高校生まで、スキルや年代は様々。じゃんけんでチーム分けをすると、すぐに試合が始まる。

 「(ディフェンス)もっと出ていいよ」「ナイシュー!」。それまで話したことがなかった人同士が声をかけ合い、時にハイタッチを交わす。

 仙台市若林区荒浜の海岸から約500メートル。9月17日、バスケットコート「East Coast Park」がオープンした。整備したのは藤村貴敏(たかとし)さん(28)だ。

造船会社長はバスケ選手 探したコートの適地

 宮城県七ケ浜町出身。漁船の修理を主に手がける造船会社の社長であり、国際的に活躍するストリートバスケの選手でもある。

 小学1年でバスケを始め、進んだ東京の大学で、ストリートバスケに出会った。少人数プレーのため個人技が際立ち、1プレーごとに観客が盛り上がる雰囲気に魅了された。

 ストリートリーグの日本代表として中国に遠征したのをきっかけに、世界各地のストリートコートを巡るようになり、本場・米ニューヨークも訪れた。

 地域によって、集まる人や周囲の風景はまったく違う。ただ、多様な人種や年代、スキルを持つ人が一つのコートでプレーしているのは、どこも同じだ。「いつか日本にも、こんな場所をつくりたい」。そう思うようになった。

 4年前に大学を卒業し、地元の金融機関に就職。昨年には経理の経験を買われ、親族が経営していた造船会社を継いだ。

 その間、コートの整備に適した場所を探すうち、仙台市の「集団移転跡地利活用」の制度を知る。

 市は、東日本大震災の津波で大きな被害を受けた沿岸部一帯を、住宅の新築や増改築を制限する「災害危険区域」に指定。「利活用」は、市が買い上げた跡地を、民間に安価に貸し出す制度だ。

 荒浜地区には、約800世帯2200人が住んでいたが、一帯は津波にのまれ、約190人が犠牲に。住宅は内陸に集団移転していた。

 藤村さんは下見で荒浜を訪れた際、近くにあった震災遺構の「荒浜小学校」にも足をのばした。校舎に残る津波の痕跡や避難所として使われた教室を見て、それまで心の奥にしまっていた記憶がよみがえった。

更地のままの荒浜 「人が集まれば変わるかも」

 2011年3月11日、当時…

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