幼稚舎から慶応一筋の広瀬隆太 転機は塾高の3年間で得た「自由」

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安藤仙一朗
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 8月23日。慶応が107年ぶりの全国制覇を成し遂げ、興奮のるつぼと化した甲子園の三塁側アルプス席にいた。

 「夢のような光景で信じられなかった」

 広瀬隆太(22)は、そう振り返る。

 東京六大学リーグ屈指の強打を誇る慶大の主将だ。幼稚舎(小学校)時代から「KEIO」一筋で育った。

 リーグ戦の通算本塁打は最後の早慶戦を残して19本を数え、歴代5位タイ。高橋由伸が記録したリーグ最多記録に、あと4本に迫っている。

 慶大の練習のオフが決勝だけはたまたま重なり、日帰りで応援に駆けつけることができた。

 広瀬が兄の影響で野球を始めたのは、慶応幼稚舎1年のとき。当時から制服を着て早慶戦を応援しに行った。早大の有原航平(現ソフトバンク)に、グレーのユニホームの打者たちが立ち向かっていく光景を覚えている。

 幼稚舎ではキャプテンを務め、チームの中心選手だった。将来の夢は必然的に東京六大学野球でプレーすること、そしてプロ野球選手になることだった。

 だが、世田谷西リトルシニアでプレーした中学時代に挫折を味わった。自分の長所をなかなか見いだせず、外野手の4、5番手に甘んじていた。「プロになりたい」と周囲に話すのも気恥ずかしく感じていた。

 自信を取り戻させてくれたの…

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この記事を書いた人
安藤仙一朗
スポーツ部
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高校野球、駅伝