秋篠宮さまが「希望」と書いたスバルの軽、廃車→公道へ 救った提案

東野真和

 東日本大震災の津波で車を流された岩手県大槌町の職員に、知人らが寄付を募って贈った軽乗用車がある。その車は被災者支援に奔走したが、今年6月、廃車処分になった。1995年製の軽ワゴン「スバル・サンバーディアスクラシック」。車体には、支援のために町を訪れた人々のメッセージがびっしりと書かれている。スクラップにはしたくないと保管していたら、思わぬ展開が待っていた。

 震災当時、町職員だった佐々木健さん(66)の元にサンバーが届いたのは、震災から約1カ月半後だった。佐々木さんが各避難所の統括責任者として、奔走していたころだった。

 車を贈ったのは、東京都東久留米市の市民団体「東久留米川クラブ」。震災前年の12月に同市であった湧水(ゆうすい)の保全フォーラムに佐々木さんが参加したのが縁で仲良くなった。佐々木さんが津波で自宅や車を流されたと知った代表の荒井和男さん(74)が、寄付を集めて中古車を購入。元気づけようと、車体に市内の子どもたち数十人に「おうえんしてます」などとボディーに書いてもらって届けた。

 佐々木さんは、この車を「走るメッセージボード」にして町民を元気づけようと考えた。

 町の希少魚イトヨの研究を通じてつながりがあった秋篠宮さまは、2011年5月に町を慰問し、「希望」と書いてくれた。小泉進次郎元環境相は、「復興に必要なことは何か」と尋ね、佐々木さんが答えた「愛と知性」という言葉をそのまま記した。被災経験を持つ長島忠美・元新潟県山古志村長(故人)は「あせらず あきらめない」。

 文化人や俳優ら有名人から、無名の支援者まで。その数は佐々木さんの記憶の限りで500人以上。秋篠宮さまが書いた初期のころの言葉などは雨で消えてしまい、今残っているのは、「人生は生きるに値する」と書いた俳優の井上芳雄さんのメッセージなど、10年ほど前からのものになる。

 佐々木さんの狙い通り、仮設住宅や移動中の道路で、車の前には人だかりができ、メッセージを読んだ町民を励ました。

 佐々木さんは潮風で傷みやすい車をあちこち修理して乗っていたが、さびが目立ち、エンジン音がおかしくなってきた。今年5月に迎える車検の相談をした整備業者は、費用が高額になると指摘したうえで、「今回通っても、次の車検は無理」と宣告した。

 佐々木さんは仕方なくナンバープレートを外して廃車状態にした。しかし、「メッセージを書いてくれた多くの人の思いを背負って走ってきた車をスクラップにはできない」と、再建した自宅の庭に置いた。

 その話を聞いた新聞記者が記事を書いた。すると、予想外の反響があった。

 「宮城県に建てる追悼施設で展示したい」「町内会で残すのはどうか」

 そして、7月23日、岩手スバル自動車の間野英雄社長が訪ねてきた。「スバル車が被災地と支援者の架け橋になったことがうれしい。再び公道を走れる状態にして、東北のスバル各店のショールームで巡回展示したい」

 佐々木さんは「復興の記憶を残す震災遺構のようなもの。多くの人に見てもらうことが伝承になる」と、間野社長の提案を受け入れた。車は8月19日に引き取られ、修理中だ。佐々木さんは、車と一緒に展示できないかと、今までメッセージを書いてくれた人に、当時の写真を募っている。(東野真和)…

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