前田家「推し」の金沢に家康まつる神社を発見 いったいなぜ?

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土井良典
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 三英傑の一人、徳川家康が今年、NHK大河ドラマの影響もあって、フォーカスされている。今春、金沢に赴任したが、その前任地が家康が生まれた愛知県ということもあり、「加賀百万石」「前田家」がメインの石川県でも家康ゆかりの地はないかと探してみた。すると、おひざ元の金沢城のすぐそばに建つ神社に行き当たった。

 その神社は尾崎神社(金沢市丸の内、旧金沢東照宮)。8月末、あらかじめ取材をお願いした時間よりも早く着いたので、境内を見ていると、「暑いでしょ。そこまで約束を気にせんでいい。入って入って」。宮司の永井隆さん(74)が、ふいに声をかけてくれた。

 乱世に区切りをつけ、約260年続く江戸時代の礎を築いた家康を祭神として各地に造られたのが東照宮だ。

 金沢東照宮はその一つ。家康が死去して27年後の1643年、家康のひ孫で加賀藩4代目藩主・前田光高によって金沢城北の丸に建てられた。

 その後、江戸の世が終わり、1878(明治11)年、金沢城内に駐留した陸軍省の都合で城外の現在地に移された。金沢城の現存する関連建造物としては最古のものだという。

 旅行のガイド本やインターネットでは、尾崎神社と同様に金沢城の近くにある尾山神社(1873年創建)の方がよく紹介されている。加賀藩祖・前田利家をまつり、神社では珍しいステンドグラスを取り入れた神門が特徴の神社だ。

 しかし、郷土史に詳しい人は…

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