【詳報】青葉被告が語った京アニとの「最初の接点」 初の被告人質問
死者36人、負傷者32人。2019年7月18日、京都アニメーションの第1スタジオが放火され、人気アニメ作品の監督や若手アニメーターらが命を落としました。
殺人事件として戦後最悪とみられる犠牲者を出した事件から4年。殺人や現住建造物等放火などの罪で起訴された青葉真司被告(45)の裁判員裁判が京都地裁で始まりました。
7日には青葉被告への被告人質問があります。詳報します。
■■■7日の公判■■■
15:40
母親と再婚相手の元へ でも半年後…
被告人質問では、青葉被告の生い立ちについてのやり取りが続いた。
計8年間続けたコンビニエンスストアのアルバイトをやめ、青葉被告は無職になった。生活保護を受けようと市役所へ行ったが、「そのまま働いてください」と断られたという。貯金もなくなり、「電気もガスも止められた。家賃も払えなかった」と振り返った。
この時期、青葉被告は窃盗などで執行猶予つきの有罪判決を受けた。そのころ幻覚もひどかったといい、「頭がぼんやりして、1時間ぐらいぼーっとしないといけないこともあった」と述べた。
判決後、「行くところがなかった」として母親の住む家に行ったが、母親の再婚相手と折り合いが悪く、半年で出ていったという。
その後は自動車工場での派遣労働者など、仕事を転々としたと語った。
午後3時40分ごろ、この日の審理が終わった。
15:20
「葬式には出ない」父への通告
被告人質問では、青葉被告の生い立ちについてのやり取りが続いている。専門学校を退学した青葉被告は実家に戻り、コンビニエンスストアでのアルバイトを始めた。同僚とのトラブルは「なかったと思います」と振り返った。
半年後、一人暮らしのため引っ越しすると、別のコンビニで働き始めた。二つの店舗を掛け持ちしたが、一方の店舗で「青葉が好き勝手にやっている」と後輩から告げ口があり、3年ほど勤めていたが退職に追い込まれたと主張した。
その後、再びコンビニのバイトを掛け持ちしたが、「仕事をしない店長」がいるなどして仕事量の限界を感じ、28歳ごろには2店舗のアルバイトをやめたと語った。
21歳の時、父親が亡くなったと聞き、父親の自宅を訪れて母親と再会した。両親が離婚して以来、十数年ぶりだった。「今さら出てくるのはあり得ないだろう」と当時の心境を語った。
青葉被告は父親の葬式に出なかったという。理由について「あれだけけんかしたので、『お前の葬式には出ない』と通告していた」と述べた。
15:00
「ゲーム音楽を作る人に」 でも3カ月で…
被告人質問では、青葉被告の生い立ちについてのやり取りが続いている。定時制高校時代の話から、趣味だった音楽について弁護人が尋ねた。
当時聴いていた曲を問われると青葉被告は、「CHAGE AND ASKA、Mr.Children、LUNA SEAとか」とミュージシャンの名前を挙げ「全部兄貴の影響」と述べた。給料で約10万円のシンセサイザーやギターなど買って演奏したことも振り返り、「いろんなものに触れられた良い時代だった」と振り返った。
卒業後は「ゲーム音楽を作る人になりたい」と専門学校に入学。新聞奨学生をしながら都内の学校に通ったが、「学び方が遅くて不満」と思うようになり、3カ月ほどで真面目に行かなくなったという。
14:15
定時制高校時代の友人に勧められ
被告人質問では、青葉被告の生い立ちについてのやり取りが続いている。
定時制高校時代の友人の話題になり、青葉被告はその友人に勧められたゲームを挙げ、「それがなかったら(涼宮)ハルヒも見ていなかった。すると、小説を書いていなかったことになる」と述べた。このゲームの開発会社が手がけた別のゲームを京都アニメーションがアニメ化したことにも触れた。
これまでの公判で検察側が京アニとの「接点」として挙げていたのは、2009年に「涼宮ハルヒの憂鬱(ゆううつ)」に感銘を受け、小説などを書き始めたことだった。青葉被告が定時制に通っていたのは1994~97年だった。
14:00
定時制高校時代に埼玉県庁でバイト「やりがいあった」
青葉被告は弁護側からの被告…
京都アニメーション放火殺人事件
2019年7月18日、京都市の京都アニメーション第1スタジオが放火され、36人が死亡しました。京都地裁は2024年、青葉真司被告に死刑判決を言い渡しました。関連ニュースをお伝えします。[もっと見る]