日本とハワイ、砂糖でつながる150年余の歴史 日系人、今は8世も

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聞き手・河崎優子
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 大規模な山火事の被害を受けたハワイのマウイ島には、今も多くの日系人が住んでいます。150年以上も前に、「砂糖」がきっかけで日本とハワイはつながりました。現地に通算27年間住んでいた元大手旅行会社社員の浅沼正和さん(横浜市)にその経緯を聞きました。

 ――なぜハワイには多くの日系人がいるのでしょうか。

 キーワードは、砂糖です。1860年にサンフランシスコに向かった日本の「咸臨丸(かんりんまる)」が、その帰路に石炭と水の補給のためにホノルルに寄港しました。その際、カメハメハ4世が、サトウキビ畑の労働者として日本からの移民を要請したのがきっかけです。通訳は、ジョン万次郎でした。8年後、約150人の日本人がハワイに行きました。その後、85年に明治政府が移民を正式に認め、移民が禁止される1924年までに20万人ほどの日本人がハワイへ渡りました。

 ――多くは男性だったのですか。

 出稼ぎ目的だったので、多くが男性でした。その家族や仲人が、日本で妻となる人を探しました。そして、男性の写真だけで結婚を決め、ハワイに渡った日本や朝鮮半島の女性が約2万人いました。これを、「写真花嫁(ピクチャーブライド)」と言います。同郷の人同士が結婚することがほとんどでした。

方言もハワイの共通語

 ――どこの出身者が多かったですか。

 広島や沖縄が多かったです…

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