富山市の路面電車、新旧車両が織りなす市民の足 便利になって復権

平子義紀
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 「鉄軌道王国とやま」

 ファンを引きつける魅力の一つが路面電車だ。富山では「市電」と呼ぶ。

 JR富山駅北陸新幹線中央改札口を抜けると、構内を貫くように8番までホームが目に入る。市電(市内電車)の全路線が発着し、中心部の主な施設にアクセスできる。料金は一律210円(子ども110円)だ。

 富山大学前行きに乗る。外側は何度も塗り直した跡。ステップを上る車両で、運転席のプレートは「日本車両 昭和35年」。1960年製の最古参電車だ。

 ブーン、ガタンガタン……。加速に伴い、音も揺れも増す。信号待ちでは「トクトクトク」と響く。ドア開閉などに使うコンプレッサーの作動音だという。

 「チン!」。降車ボタンを押すと、音が鳴った。

 富山駅への復路に乗ったのは、メタリックな外観でモダンな車両を三つつないだ電車。「サントラム(3+路面電車)」という。床は乗り場と同じくらい低い。騒音・振動も少なく快適だ。停車中はエアコンの音以外は静かだ。

 市電は現在、総距離15・2キロ。新型15編成に加え、古い車両が15、計30編成で運行する。年に約700万人を運ぶ。

 路線は南方面の南富山駅前行き▽西方面の富山大学前行き▽環状線▽海岸近くへ延びる富山港線の四つ。富山港線と中心市街は富山駅でつながる。

 「古いタイプも現代的な車両もある。動く歴史遺産です」。富山の路面電車を約40年見てきた鉄道作家、寺田裕一さんは評価する。

 路面電車が走ったのは1913(大正2)年で、北陸3県で最初だった。45年の富山大空襲で壊滅し、復旧に約9年かかったという。

 ピークは高度成長期の65年ごろ。繁華街・西町を中心に東西、南北、環状の路線が整備され、郊外に延びる鉄道に接続した。利用者は年2千万人近くに上った。だが、車社会の広がりで衰退に向かったのは他の都市と同じ。富山駅から南へ向かう南北線と、大学線の2系統だけになった。

 再生のきっかけは2003年。富山市がJR富山港線を引き継ぎ、路面電車にすると打ち出したことだ。

 公共交通を軸にコンパクトな街にするため、次世代型路面電車LRT(ライト・レール・トランジット)の整備を決めた。「都市の魅力を高めるために、LRTのネットワークは必要だった」と、市交通政策課の高田秀昭参事は説明する。

 富山港線は、JRから第三セクターの「富山ライトレール」に生まれ変わった。鉄道仕様を改修し、駅を新設。乗り場をバリアフリーにした。運行間隔も15分おきに短くした。利用者は平日で約2・1倍、休日で約3・3倍になった。とくに高齢者の外出が増えた。

 09年には中心部に環状線を「復活」。街の活性化と、人の回遊を狙った。

 富山ライトレールを合併し、現在運行を担う富山地方鉄道によると、最近のトピックは3年前の南北接続だ。北陸新幹線開業で富山駅の高架化が進み、北側の富山港線と南側の市電が一本につながったのだ。

 21年には、Suicaなど交通系ICカードも使えるようになり、観光客が乗りやすくなった。

 「富山は行政の後押しもあり、うまくいっている少ないケース。ぜひ出かけて、路面電車に乗ってみましょう」。寺田さんもこう勧める。

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