「県外リスク」強調、注がれた冷たい視線 医療人類学で考える境界

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連載「コロナ禍と出会い直す 磯野真穂の人類学ノート」(第12回)

 2020年7月、初めての緊急事態宣言が解除されてから約2カ月後のことである。所用のため東京都内でレンタカーを借りた際、担当者からこんな説明をされた。

 「今東京ナンバーだと嫌な思いをされるお客さんがいるので、他県ナンバーをご用意しました」

 「お気遣いありがとうございます」と答え、その車を運転しつつも、私はこの気遣いに、なんともいえない不気味さを感じた。

 感染リスクからは程遠い日常を送っている。他県で誰かとはしゃぐ予定があるわけでもない。「東京ナンバー=感染者」という発想は、差別以外の何ものでもない。ところが、差別される側が、差別をされないために、居住地を隠す行動を「気遣い」の名の下に求められている。何よりもこの車で走ることの確かな安心感を私自身が覚えている。

 これは1986年に長野県松本市で国内初のHIV(エイズウイルス)感染者が報告された時と同じ状況だ。あの時も、松本ナンバーのトラックが東京都の市場に入れない、長野県民は宿泊を断られる、松本市民は住所を偽って宿泊をするという事態が起こった。

 感染症をめぐる排除・隠蔽(いんぺい)の歴史と車を走らせる私の体験は間違いなくつながっている――。暗澹(あんたん)たる気持ちを抱えながらのドライブであった。

ウイルスの標的は行政単位ではないのに

 似たような思いをしたのは私だけではあるまい。2020年から始まったパンデミックでは、国境が閉じられただけでなく、県をまたぐ移動の自粛要請という形で、県境も次々と「閉じ」られた。

 それに呼応するように、県外ナンバーに苦情が寄せられるようになり、「○○県在住です」というステッカーを貼った車まで登場した。県外に出たら上司に報告した上で、2週間自粛といったきまりを作った官公庁も現れた。県境なるものがここまで意識されたことはかつてあっただろうか?

 とはいえ、この要請はどこか変なのである。ウイルスは行政単位を標的にするわけではないから、県境を越えたら感染リスクが高まるといった発想は奇妙だ。また、これは県内にいたら安心という発想の裏返しでもあるが、なぜ県内にいたら安心なのか。県内で感染者が出ていたら、県内も県外も同じではないか。

 マスクをするとか、換気をするとか、体調の悪い時に外出を控えるとか、そういう個別具体的な感染対策に比すると、「県をまたぐな」という要請は説得力に欠ける。

 しかし、この要請は人々の行動を如実に制限し、県外からの来訪者に冷たい目線が注がれる状況を作り出した。

 どこか妙でありながら、実際に力を持った県をまたぐ自粛要請。この力の不思議を、前回に引き続き、福井県を例に考えたい。なぜなら福井県の公式記録を調べていくと、コロナの県外由来を殊更に強調していた実績があるからだ。

「県外に行ったからだね」と言われたくない

 「コロナが始まった頃、やりすぎ、あるいはやらなさすぎと感じた感染対策はありましたか」という筆者の質問に対し、公務員の山本(仮名)は、県が毎日開いた記者会見を挙げた。

 「記者会見で一人ひとりの行動歴を細かく話すのは、そこまでやらなくていいんじゃないかと思いました。でもその半面、県外に出なければいいのかな、という安心感もありました」

 これに対し「県外・県内というのが大切なんですね」と筆者が返すと、共に取材に協力していた山本の母親が次のように答えた。

 「『東京に行きました』『大阪に行きました』といった形で感染者の行動歴を結びつけてくるんですよね。もし感染した場合に、『県外に行きましたか』って聞かれるんだな、って思いました。だから、県外に行かなきゃいいのかなと」

 「県外に行くと電車に乗ることが多くなるので、それでリスクが上がるのかなと思っていました。でも同時に心の中では、県外に行ったからではなく、県外のどこで何をしたかが問題だと思っている」

 「別に県外に行ったからといってうつるわけではない。県外に行った人が悪いわけじゃない、って思っていたけど。でも自分は行かない。『県外に行ったからだね』とかかった時に言われるのが嫌だ。その一言が怖い」

 二人の語りから、県外が危ないという発想の一端は、福井県の公式会見から作られていたことがうかがえる。

 では福井県は、県をまたぐ移動のリスクをどのように発信していたのだろう。

ポスターでも知事会見でも…繰り返し強調されたリスク

 過去の資料をたどると、県がこのリスクを繰り返し強調していたことが見えてくる。

 例えば、2020年4月14日に、「福井県緊急事態宣言」が発令された際、「(国の)緊急事態宣言の対象地域など他県との往来を自粛する」という一文が「強いお願い」の一つとして啓発ポスターに載っている。

 また県の宣言はGW(ゴールデンウィーク)明けから段階的に緩和となるが、「都道府県をまたいだ移動は極力避けてください」といった形で注意喚起は継続された。

 加えてこの要請は2021年に入るとさらに強力になる。例えば2月23日に出されたパンフレットでは、他県出張や帰省した家族がいる場合、家庭内でもマスクを着用するよう呼びかけがなされ、来県者に向けては、移動前から感染対策を徹底するよう呼びかける啓発ポスターが公開された。

 約半年後の同年8月6日、福井県緊急事態宣言が再び発令された際も同様だ。知事は会見の冒頭で、感染のほとんどが県外から持ち込まれているとし、帰省や出張など県境をまたぐ移動は延期・中止を求めた。

 これだけではない。感染経路としての「県外」は、福井県新型コロナウイルス感染症対策本部が作成する振り返り資料において、2020年の11月から登場するが、ここでもやはり感染経路としての「県外」がことさらに強調される。

 例えば2021年3月から10月までの感染状況を振り返った資料では、「従来と同様に、県外由来と推定される感染事例が多かった」とあり、別ページには「県外由来の系統が9割を超えていた」とある。

 この見立ては2022年以降も続き、同年1月に県が公開した資料には、オミクロン株感染者が県内でも報告されたことと、全ての感染者に県外滞在歴があることが記され、県境をまたぐ移動のリスクが再び強調される。

 この県の対応は、事業者や病院施設にも影響を与えたようだ。例えば2022年の春に私が行った取材では、ワクチン未接種の社員に県外出張をさせない事業者、受付でアンケートを配布し県外移動の有無を「はい」か「いいえ」で答えさせる病院の話を聞いた。

 県境がリスクとして繰り返し強調されることで、県境が浮き上がり、そのリスクが実体化していく様子が見てとれる。

 とはいえ、この要請が持つ奇妙さには県民も気がついていた。次回は、この要請がはらむ矛盾を、県民の声と福井県の公式資料をもとに検討したい。

次回予告

なぜ「県外」というカテゴリーが力を持ったのか。県内と県外の区分が、県民の意識に与えた影響とは――。

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