第1回大病院を「修羅場」に変えたサイバー攻撃 異変はひそかに忍び寄った

記憶喪失になった病院

編集委員・須藤龍也 高井里佳子
【動画】大病院をサイバー攻撃が襲った。「病院が記憶喪失になった」 ある医師は状況をこう言い表した。
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 2022年10月、大阪有数の大病院をサイバー攻撃が襲った。その瞬間から、病院のほぼ全てのシステムが徐々にその機能を失っていった。

 電子カルテからは患者の情報が消えた。医師や看護師は、目の前にいる患者が誰なのかわからなくなった。危篤に陥った患者の家族の連絡先も探せなくなった。

 復旧する23年1月まで、病院の機能は約2カ月にわたって、事実上止まった。

 「病院が記憶喪失になった」

 ある医師は状況をこう言い表した。

 サイバー攻撃に直面したあの日、現場で何が起きていたのか。

右往左往するお年寄りたち

 ITシステムの専門家として病院に派遣された板東直樹(64)は言う。

 「修羅場とはこういうことなんだ、と。こんなつらい現場、見たことがなかった」

 昨年11月1日朝、板東は病院の正面玄関入り口に立っていた。自動ドアを通り、ロビーに向かって歩みを進めようとした。そこで飛び込んできた光景に、ぼうぜんとして立ち尽くした。

 右往左往する大勢のお年寄り、そしてその一人ひとりに声をかけ状況を説明する職員たち――。

 「一体どないなっとんねん」

 患者とみられる男性の怒号が聞こえた。

 大阪市南部にある大阪急性期・総合医療センターは、大混乱に陥っていた。

 原因は前日に発覚したサイバー攻撃。外来患者の受付機や自動精算機など、コンピューターシステムがほぼ停止していた。

 病院は通常の外来診療をしばらく停止すると公表していた。ところがサイバー攻撃で電子カルテが破壊され、患者の連絡先がわからず、個別に知らせることができずにいた。

 代表電話は問い合わせでパンクし、つながりにくい状態が続いていた。ニュース報道を見て不安に駆られ、とりあえず病院に来た人たちもいた。

 36の診療科を抱える病院は、1日1200人近い外来患者が来院する。事情を知らない多くの患者が詰めかけていた。

 病院中の事務職員が集められ、患者に事情を説明して回った。1階ロビーは人であふれ、混沌(こんとん)とした状態にあった。

「病院を救ってください」

 板東は入り口脇の総合案内で来意を告げ、5階の会議室へ行くよう案内された。ごった返した人の間を抜け、「すみません」と言いながら歩いた。

 10メートルほどして歩みを止めた。そこで、車椅子に乗った両足のない人とすれ違った。行き場を失い、困り果てているように見えた。

 生きるよすがを求め、病院にいる患者たちを、たった1種類のコンピューターウイルスがさらに追い詰めていた。

 「こんなこと、あっていいのか」

 板東は、サイバー攻撃を受けた病院の初動対応を支援するため、厚生労働省から派遣された専門家の一人だった。

 過去にも、サイバー攻撃の被害を受けた企業の復旧を支援をしてきた。だが、今回の被害は今まで見たものと次元が違った。目の前で困っている人たちがあふれ、患者の命がかかっている。

 病院の階段を早足で上がり、5階の会議室に向かった。行き交う職員がみな、走って上り下りしていた。

 実はこの時間、別の仕事の打ち合わせが入っていた。取引先に連絡し、土壇場でキャンセルする非礼をわびた。ニュース報道で知っていた取引先の担当者は快諾してくれた。

 板東が会議室に着いたのは、午前10時を少しすぎたころ。システム復旧会議が始まったところだった。

 会議室には、病院職員やシステムを構築した業者ら40人近くが詰めていた。サイバー攻撃の調査で、前日から徹夜状態だった。

 病院のトップである総長の嶋津岳士が板東に近づいてきて、あいさつを交わした。そしてこう言って頭を下げた。

 「病院を救ってください。よろしくお願いします」

 サイバー攻撃につながる「異変」が起きたのは、前日未明のことだった。板東が病院に到着するおよそ28時間前の10月31日午前5時50分、それは静かに始まった。(文中敬称略)

     ◇

 朝日新聞は大阪急性期・総合医療センターの協力を得て、サイバー攻撃の被害に直面した病院職員や関係者ら、のべ二十数人にインタビューしました。

 「異変」に気づき始める医師や看護師たち。大混乱に陥った病院で明らかになる「現実」と、絶望の淵から救った「偶然」の連続。そして、サイバー攻撃の核心に迫る「攻防」の一部始終。発生から48時間の現場の奮闘を追いました。(編集委員・須藤龍也、高井里佳子)

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    須藤龍也
    (朝日新聞編集委員=情報セキュリティ)
    2023年8月21日15時52分 投稿
    【解説】

    「病院が記憶喪失したみたいな形になって」 大阪急性期・総合医療センターの医師が報道陣への囲み取材で語った言葉です。 大阪府の医療を支える大病院が2022年10月、サイバー攻撃に見舞われました。 病院の生命線とも言える、電子カルテが破壊

    …続きを読む