原爆開発は米国の「成功物語」 圧倒的な肯定と断絶の先にあるもの

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小川裕介

 米国による広島、長崎への原爆投下から78年を迎える。奪われた市民の命は少なくとも21万人以上とされる。だが米国では「原爆投下は日本との戦争終結に必要だった」と語り継がれてきた。そのナラティブ(物語)に変化はあるのか、どう受け止めるべきなのか。米国が世界初の核実験を実施した米南西部ニューメキシコ州の「トリニティ・サイト」を昨年4月に訪ねた政策研究大学院大学の岩間陽子教授(欧州安全保障)に聞いた。

自然と人間、日米の世界観に感じる「根本的な違い」

 「私はこれまで独外交や北大西洋条約機構(NATO)などを専門とし、欧州を中心に学んできました。米南西部の砂漠は訪れたことがありませんでした。ニューメキシコ州は、とにかく広かった。何もないところに水をひき、鉄道を走らせ、人が住めるようにしていく。現地の博物館を訪ねて歴史を知り、その開拓民のメンタリティーを知りました」

 岩間教授は、ほかの大学の研究者らも参加する核不拡散体制についての研究プロジェクトを主宰し、NATOの「核共有」についての編著書もある。トリニティ・サイトの訪問前、同じニューメキシコ州にあるサンタフェの歴史博物館を数時間かけて見学した。開拓史や現地の戦史について改めて理解が深まったという。

 「感じたのは、自然と人間の関わりの違いです。日本人は、自然は恵みであり、大切にすれば共生できるというメンタリティーがある。一方で、米国の砂漠は闘って克服し、征服すべき対象のように感じました。日本では少し歩けば水や草木が生えた場所にたどり着きますが、米国の砂漠地帯は歩いても歩いても砂漠が続く。日米で根本的な世界観の違いがあるのを感じました」

 「これだけ広大な誰も住んでいない土地は、ドイツにも日本にもない。日独も原爆の開発を進めていましたが、もし開発できていたとしてもどこで実験できたか。英仏も戦後に核兵器を開発しましたが、核実験は太平洋やアフリカの旧植民地などで実施している。北朝鮮のように、現代なら地下核実験もできますが、当時は地上がふつうでした。核開発の背景には、まずこれだけの広大な土地があることを思い知りました」

「日本人として納得できず」 あまりに曇りなき肯定の物語

 トリニティ・サイトの一帯は1975年、国の史跡に指定された。爆心地を示す記念碑の周りでは、家族連れが笑顔で記念写真に納まる姿が目立った。土産物店が立ち、観光地のような雰囲気もあった。

 「原子爆弾の開発という、『成功物語』がそこにはありました。そこに疑問を差し挟むことなどない、圧倒的な肯定の物語です。人類が核の力を解放した偉大な場所として、記憶されていました。そのあまりの曇りのなさには、日本人として納得できないものがあります」

 「一方で、あの自然の中に身を置き、自然を克服し、征服し、開拓してきたメンタリティーに触れると、まったく違う人間観、文明観があることも感じました。あらゆる困難を克服し、核兵器を開発し、日本との戦争を終わらせたのだというアチーブメント(達成)の物語です。日米間で全く異なる文明観が背景にあることを感じました」

■米大統領の広島訪問 「米国…

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この記事を書いた人
小川裕介
西部報道センター|事件キャップ
専門・関心分野
核・原子力、感染症、事件、調査報道
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    鈴木一人
    (東京大学大学院教授・地経学研究所長)
    2023年8月7日0時53分 投稿
    【視点】

    必ずしもアメリカを専門としているわけではない岩間先生だからこそ、第三者としてアメリカを観察しつつ、日本との違いや「成功物語」の圧倒的な存在感を見たのだろう。また、アメリカの人口動態の変化に伴う成功物語の可能性についても言及しているが、日本か

    …続きを読む