第5回わら半紙で勉強、記憶力あがる? 今や割高、デジタル時代に新たな光
学校の「アレ」は今 (5)わら半紙
薄くて柔らかいため、指を切った記憶がない。 でも、シャープペンシルで書くと破れる。消しゴムを使うと破れる。
だから、裏にセロハンテープをべたべた貼って、強化していた。
その名は「わらばん紙」。記者(42)が小学生の頃、漢字の書き取りテストや学級通信に使われていた。
わら半紙は柔らかすぎてコピーには向かない。そのため、1980年代後半、デジタル印刷機が登場したのを機に、世の中は白い「コピー用紙」へと移り変わっていく。
しかし、学校現場は違った。デジタル印刷機やコピー用紙の値段はまだ高かった。しばらくは、安価なわら半紙は学校のマストアイテムだった。
印刷機が低価格となり、コピー機も大量生産され、わら半紙はいよいよ消えていく。
小中学生のころ、学校でよく使っていた「アレ」。まだあるのかな。今はどうなっているのかな。20~40代の記者たちが、懐かしみながら探ってみると…教育や社会の変化が見えてきました
実は生き残っていた! 価格は逆転
が、実は細々と生き残っているのだという。「手を切らないので、児童向けの施設で使いたいという声もあります。手紙を書く際にレトロな雰囲気をだしたいとあえて買う人もいます」と東京・神田の「松本洋紙店」の松本友さん(45)は言う。
常時、在庫を置いているわけではなく発注商品。そのため、価格は逆転した。現在は、わら半紙はコピー用紙の2倍以上。1枚2円程度だという。
わら半紙にはかつて「わら」が原料に使われていた。紙の博物館(東京都北区)の西村博之学芸部長によると、日本で初めてわら半紙を作ったのは大蔵省(現国立印刷局)。民間でわら半紙作りに尽力したのは、渋沢栄一の娘婿である大川平三郎だという。1880年代のことだ。
それまで、洋紙の原料にはぼろ布が使われていた。が、紙の需要が高まり、ぼろ布が高騰しつつあった。代替できるものとして、米国に留学していた大川が目をつけたのが、現地で紙の原料として使われていた麦わらだった。
だが、日本で麦わらは手に入りにくい。そのため、空俵の稲わらを原料に加えて、洋紙を作り始めたのだという。
■紙作りの空俵から 米粒ぽろ…
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