迫る火の手、坂と崖に阻まれたら 「その日」に備えていまできること

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聞き手・工藤隆治

 関東大震災での横浜の被害を踏まえ、逃げやすく、被災後もくらし続けられるまちのあり方を、横浜市立大学准教授の石川永子さんに尋ねました。

     ◇

 関東大震災では、四方を火に囲まれて約3万8千人が亡くなった東京の陸軍被服廠(しょう)跡の被害が広く知られていますが、横浜市内では中心市街地がほぼ焼失し、約2万4千人が火災で亡くなりました。

 中でも元町、山手地区などは坂や崖があって道が狭く、火の手が迫っても逃げられなかった人が多数いました。犠牲者が多かった場所には、今も地蔵や碑が残っています。

 同じ横浜市内の地区で、避難のあり方や災害後のまちづくりを考えるワークショップを、住民や学生と昨年度から開いています。

 この地区内も高低差があり、住宅が密集しています。

 ワークショップで元町や山手の被害を振り返ると、なじみのある地名や地形が当時のまま残っているため、「あの崖で大変な思いをしたんだね」「あの道は逃げられなかったのか」などと実感を持ってもらえました。

 横浜のような高低差のある地域の課題の一つは、高齢者や障害のある人、妊産婦、子どもなど「要援護者」の逃げ道の確保です。

 住宅地図を使って、避難に適…

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