第1回いらだつ軍人、抵抗する学校 8月6日、動員された8千人の子たちは
「行って参ります」
13歳の森本幸恵(さちえ)さんはその朝、元気に家を出て、広島市中心部に向かった。
建物を取り壊して空襲時の延焼を防ぐ「建物疎開」の作業に、同級生らと動員されていた。
午前8時に休憩になったので友だちと座っていると、しばらくして周囲が騒ぎ出した。
「落下傘が三つ」
「きれいきれい」
「自分も見よう」。1歩前に出て、上を向いた瞬間。
ぴかりと光った。
原爆投下時、米軍は爆発の威力を測定する装置も落下傘に付けて投下していた。
幸恵さんは寺の門の下敷きに。はい出すと、周囲の友だちは目の玉が飛び出し、頭の髪や服が焼け、口々に叫んでいた。
「お父ちゃん助けて」
「お母ちゃん助けて」
「先生助けて」
その場にかがんでいたが、熱くて熱くてとても我慢できない。
そこで、目玉の飛び出ていない友だちと3人で「逃げられるだけ逃げましょう」と避難を始めたが、「私死ぬる」と1人が倒れた。
「長らくお世話になりました。私はお先にいきます」
残った2人で「離れまいね(…
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