高1の夏、舞台で思い知った マームとジプシー藤田貴大さんの総文祭

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聞き手・西田理人

 29日~8月4日に鹿児島県内で開かれる「2023かごしま総文」で、全国高校総合文化祭の47都道府県での開催が一巡する。1977年から始まった「文化部のインターハイ」は、演劇や音楽、伝統芸能などに取り組む高校生たちが成果を発揮する舞台として、大きな役割を果たしてきた。

 「マームとジプシー」主宰で劇作家・演出家の藤田貴大さん(38)は高校時代、2度にわたって総文祭の演劇部門(全国高校演劇大会)に出場し、優秀賞に選ばれた経験も持つ。当時の思い出を尋ねると、審査員の評価に悩んだ過去と、その先に見つけた表現の真の楽しさを語ってくれた。

ふじた・たかひろ 1985年生まれ、北海道伊達市出身。大学在学中に演劇団体「マームとジプシー」を設立し、2012年に若手劇作家の登竜門とされる岸田國士戯曲賞を26歳で受賞。作・演出を務める「めにみえない みみにしたい」が全国巡回中。

 ――北海道立伊達緑丘高校の演劇部で、2度にわたって全国大会に出場しました。どのような思い出がありますか。

 「初めて全国大会に出場したのは、高1の夏です。前年度に先輩たちが全国への切符をつかみ、入学したばかりの僕たちもいきなり全国の舞台に立つことになりました。01年の開催地は福岡県で、当時は修学旅行に行けるくらいの気持ちだったと思います」

 「けれど、そこで思い知ったのは、演劇にも『勝敗』があったということ。大会では出場11校のベスト4に入れず、集団演技を『マスゲームみたい』と評されるなど、審査員の辛辣(しんらつ)な講評にも非常に悔しい思いをしました。当時は『高校演劇の甲子園』などと言って盛り上げる風潮もあったように思いますが、こんな思いをしたくて演劇を始めたわけではないのに、と微妙な気持ちになったのを覚えています」

 ――そもそも藤田さんはどのように演劇を始めたのですか。

 「僕が演劇を始めたのは10歳の頃。地元の伊達市に大きな劇場ができ、それに合わせて誕生した市民劇団に入ったのがきっかけです。劇団の演出を務めていたのが、当時の伊達緑丘高校の演劇部顧問でもあった影山吉則先生でした」

 「影山先生がいるということもあって伊達緑丘に進みました。演劇部は当時、放課後だけでなく朝と昼にも練習があり、とにかく厳しかった。それに加えて市民劇団でも活動を続けていたので、高校時代の3年間は毎日ひたすら演劇に向き合っていました」

審査員・平田オリザさんが下した評価は

 ――ハイレベルな作品が集う全国大会では、刺激を受ける部分もありましたか。

 「僕にとって衝撃だったのは…

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