ロシアが恐れたコサック社会 ウクライナの「成り行き民主主義」
ロシア軍のウクライナ侵攻に端を発した戦争は、昨年2月の勃発からすでに500日を超えても、終息の兆しが見えない。侵攻の背景に何があったのか。ウクライナとロシアは、これからどこに向かうのか。ウクライナ史研究の第一人者として知られる米ハーバード大学ウクライナ研究所長のセルヒー・プロヒーさんを、研究のため滞在中の北海道大学スラブ・ユーラシア研究センターに訪ねた。
「NATO拡大」原因説は誤り
――プーチン大統領が侵攻に踏み切った理由は、いまだに議論を呼んでいます。一般的には、北大西洋条約機構(NATO)の拡大に反発したからと言われますが。
「NATO拡大をロシアがおもしろく思わなかったのは確かですが、それが侵攻を招いたという言説は誤りです。ゼレンスキー大統領は昨年3月、ロシアとの和平のためにNATOへの早期加盟を断念する意向を示しましたが、ロシアは合意しなかったのですから」
「侵攻の目的は、単にウクライナを支配するためです。NATOうんぬんはプーチン政権のプロパガンダに過ぎず、言ったプーチン氏自身でさえ信じていません。ロシアにとってNATOよりずっと大きな脅威と映ったのは『オレンジ革命』でした」
――ウクライナで2004年、大統領選の不正に抗議する市民が街頭に出て、再選挙で親欧米政権を誕生させた民主化運動ですね。
「旧ソ連の中でロシアに次ぐ…
- 【視点】
細かいことを言えば、今日のウクライナのすべての領域がコサックの故地だったわけではなく、ウクライナナショナリズムの揺籃の地である西ウクライナのガリツィア地方などはむしろコサックとはあまり関係のない土地であった。 また、ロシアにも地域によって
…続きを読む