「勝つために生きられたなら」誇りある千勝を 棋士・森下卓の40年

有料記事純情順位戦 ―将棋の棋士のものがたり―

北野新太

将棋の森下卓(たく)九段(57)は今年、棋士生活40年の節目を迎える。一般棋戦優勝8回、順位戦A級在位10期などの実績を誇りながら、タイトル獲得には至っていないベテラン。13日には第82期将棋名人戦・C級2組順位戦で杉本和陽五段(31)との一局に臨んだ。通算1000勝という大きな節目を目指し、長い夜を戦い続けている。

 夜の将棋会館に、静かで美しい時間が訪れている。

 1階の売店は最後の客を見送ってから既に6時間が経過していた。

 2階の道場からは駒音も消え、人々が行き交ったドアは固く閉ざされている。

 3階の将棋連盟事務局は全ての職員が帰途に就き、物音ひとつ聞こえない。

 2023年6月22日、午後11時半を過ぎていた。

 4階に七つある対局室で第82期将棋名人戦・C級2組順位戦の各対局が行われた一日。それぞれの勝負は決着し、感想戦も終えていたが、特別対局室の明かりだけはまだ消えていなかった。森下卓九段と田中悠一五段による一局は終盤の激闘を続けていた。

 順位戦は1日制対局としては最も長い各6時間の持ち時間がある。午前10時に始まり、昼食と夕食の休憩を挟みながら、単純計算で計12時間も思考し続ける戦いは深夜にも至る。冷静に見れば、あるいは常軌を逸した戦いなのかもしれない。

 今期C級2組の開幕局は先手・森下のペースのまま進んだ。午後6時40分、夕食休憩後に対局が再開されると、さらに優位は拡大されていく。先手が勝利に近づいたようにも見える勝負だったが、9時過ぎに風雲急を告げた。

 森下が疑問手を指し、一気に形勢は寄った。混沌(こんとん)とした盤上は、互いに相手玉に激しく襲い掛かる終盤戦になったが、森下は耐え忍ぶ。好機を待ち、一瞬の隙に抜け出した。

 午後11時52分、田中が投了。順位戦初戦を白星で飾った森下が感想戦を終え、会館を出た頃、時計の針は午前1時を指していた。

 小雨が舞う中で傘を広げた森下は、隣を歩く私に言った。

 「私……9月で棋士になって…

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この記事を書いた人
北野新太
文化部|囲碁将棋担当

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