カンサイのカイシャ ここがオモロイ!
大人から子どもまで、どんな足にもフィットするかかとのない靴下「つつした」。ありそうでなかった靴下の開発者は、「樋口メリヤス工業」(大阪府枚方市)の中江優子社長(55)。実は、最初は乗り気でなかったという家業ですが、今や世界で一番好きな仕事になったそうです。(大蔦幸)
創業90年。物心ついた時から、両親は働きづめだった。戦後、繊維産業が好調だったこともあり、父の和夫さんは事業を拡大。量産用の工場を建て、安く大量に製造した。
中江さんは3姉妹の末っ子。家業を継ぐつもりはなかった。ただ、姉たちが次々と結婚。誰も継ぐ人がおらず、責任感から継ぐことにした。
府内のメリヤスメーカーに2年ほど勤め、23歳で戻った。実は、仕事は「全然やりたくない」と思いながらバイト感覚でこなしていた。27歳で結婚し、2人の子どもを出産した。
その頃だったか、少しずつ繊維業界に陰りを感じるようになった。コストの安い海外に生産は流れていった。
頭に残っていた「『筒』の靴下おいてへん?」
その後、取引先がつぶれ、連鎖倒産の危機に。奔走した父は病で倒れた。中江さんは38歳で社長を継いだが、その時、負債は億近くあった。「たたもうか」と倒産を勧められた。しかし、どうしても腑(ふ)に落ちなかった。
――私、この会社で一生懸命やっただろうか。人のために尽くしただろうか。何も誇れることをやれていない。倒産するのは、明日でもできる。
工場と家を売り、枚方市が運…