信長が描かせた「安土城」 バチカンで眠る? 屛風に込めた思いとは

有料記事れきしあるき

筒井次郎

謎の城の手がかり求めて

 日本から約1万キロ。バチカンのローマ教皇庁を、滋賀県知事の親書を携えた一行が訪れた。5月下旬のことだ。織田信長からの贈り物で、行方知れずの「安土山図屛風(びょうぶ)」を探してほしいとのお願いだった。

 この「幻の屛風」に描かれているのは、1579年に完成し、信長が「天下布武」の拠点とした安土城。豪華絢爛(けんらん)だったようだが、わずか3年後に炎上し、歴史の表舞台から消えた。実像に迫る数少ない手がかりが、この屛風なのだ。

 なぜ信長は贈ったのか――。キリスト教の宣教師ルイス・フロイスの著書「日本史」(中公文庫、松田毅一・川崎桃太訳)を手に、安土(同県近江八幡市)へと向かった。

 JR琵琶湖線の安土駅。日中の多くの時間は、普通電車が1時間あたり上下各2本止まるだけ。静かな駅の北口を出ると、信長の像が待ち構える。扇子を握った右手を斜めに差し上げ、下ろした左手には刀。堂々とした姿だ。

 「築城の指示をしている姿をイメージしています」。市文化振興課参事の坂田孝彦さん(57)が教えてくれた。

フロイス「気品があり壮大」

 まずは駅の南側にある安土城郭資料館へ。往時の天主(天守)を想像できるよう、20分の1の復元模型が展示されている。1989年に完成した。

 元になっているのは、名古屋工業大名誉教授の故・内藤昌(あきら)さんが東京の静嘉堂(せいかどう)文庫にある史料の中から見つけた江戸時代の指図(設計図)だ。ただ、内部の吹き抜け構造などが賛否を呼び、指図の信頼性も含めて結論は出ていない。

 5層7階の天主を、フロイスは「ヨーロッパの塔よりもはるかに気品があり壮大」と評した。信長の旧臣・太田牛一による伝記「信長公記(しんちょうこうき)」にも記述があり、最上階は屋根瓦も部屋も金色、その下の階は八角形という独特の構造となっている。

 その後の全国の城にない姿に、坂田さんは「道教や仏教を意識したと思われます」。信長は、最上階に君主の教養でもあった道教が題材の絵画を、法隆寺夢殿や興福寺北円堂などを意識した下の階の八角円堂に仏教絵画をそれぞれ描かせた。国内で影響力を持っていた仏教より、道教を上位に捉えていたという考えもある――。そう解説してくれた。

 そんな城を、信長はとても気に入っていたそうだ。

 天主が築かれた安土山(標高198メートル)へ向かった。県文化財保護課課長補佐の松下浩さん(60)に案内をお願いした。

 城跡では、南に面して「大手道」と呼ばれる幅6メートルの石段が、まっすぐ180メートル続く。県による「平成の大調査」で発見され、今は観光客が天主に向かうメインルートだ。

 信長は自慢の城を家臣だけでなく、有料だが庶民にも見物を認めた。宣教師たちも何度か招かれている。この大手道を通ったのだろうか。

フロイスの「日本史」には、幻の屛風も登場します。記事の続きでは、城の「ライトアップ」やセミナリヨ(神学校)での信長と宣教師らとの蜜月ぶりを紹介します。

 「いや、この道は、信長が天…

この記事は有料記事です。残り1707文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません