「これで食べていけるかな」 宮崎駿監督が心配した「ナウシカ」前夜

構成・太田啓之

 7月7日午後9時から日本テレビ系で放送される映画「風の谷のナウシカ」。原作は宮崎駿監督が1982年から徳間書店の雑誌「アニメージュ」で連載した漫画だが、84年の映画公開後も約10年間続き、映画版とまったく異なる広がりと深みを持つ作品となった。スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが明かした「ナウシカ」の裏話を一部紹介する。

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 僕は当時、「アニメージュ」の編集部員でした。宮さんは「ルパン三世 カリオストロの城」(79年)が興行的に失敗した後は仕事に恵まれず、アニメーターから足を洗おうと考えていた。彼が一番やりたかったのは絵本作家。宮さんから「絵本でメシが食えるかな」と相談された時、僕は「それは無理だ」と即答しました。

 その頃、徳間書店グループ内では映像企画を必要としていた。僕は宮さんに「本当は絵本よりアニメがいいんじゃないですか」と説得し、彼が映画のために描きためていた絵をまとめて企画会議に持ち込んだ。ところが映画畑の人たちは「原作もなしに、いきなりオリジナル企画でアニメを作るなんてあり得ない」と猛反対。それで「だったら原作の漫画を作ってしまおう」という話になったんです。

 宮さんは「家族を養わなきゃいけない。1枚でいくらもらえるのか」と露骨に聞いてきた。僕はしょうがないからその場で「1枚1万円」って決めたんですけど、そしたら彼は「たった1万円か!」ってショックを受けてしまって……。それでも「これで食べていけるかな」とぶつぶつ言いながら描き始めてくれました。

 「ナウシカ」をつくるにあたって、宮さんと話しあったのは「『新諸国物語』みたいな作品にしたい」ということでした。52年から60年にかけて放映され、爆発的な人気となったNHKラジオドラマの時代劇です。「ナウシカ」というと「人間と自然の関係」とか色々とまじめに議論されているけど、宮さんは少年少女のための「痛快娯楽絵物語」を描こうとしていたんですよ! 僕もそういうのが好きだから、2人で乗りに乗ってやりました(笑)。ギリシャ神話も参考にしましたね。

 連載中はずっと、ナウシカの見たこと聞いたことを中心に話していくので、全体像がなかなか分からない。だけど、単行本でいうと全7巻の中で第6巻の終わり近く、巨神兵が復活し、ナウシカを「ママ」と呼び始めるあたりから劇的に視点が変わってナウシカを俯瞰(ふかん)的、客観的に描くようになっていく。この変化が僕にはむちゃくちゃにおもしろかった。

 宮さんは映画では、必ずしも自分が作りたいものを作っているわけじゃない。ものすごく観客のことを考える人ですから「物語もバランスをとって、最後は明るく」というのをやり続けてきた。だけど、漫画は非常に個人的なもので、自分の好きにやってもいい。それは心引かれるものだったと思いますし、漫画版の終わり方も終末感、ペシミズムが強い。彼の本性が出ましたね。のめり込んでしまうところのある人なので、僕みたいな人間がそばにいて、みもふたもない常識的な意見を言うのは役に立つのでは、と思っています。(構成・太田啓之)…

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