マティスの描いた裸婦、戦争も海も越えて 桐島かれんさんを彩る1作

山根由起子
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 フランスの巨匠、アンリ・マティス(1869~1954)が描いた女性たちは、何となく楽しげです。東京・上野の東京都美術館で、8月20日まで大回顧展「マティス展」が開催中です。マティスを大好きだというモデルの桐島かれんさんが、同館学芸員の藪前(やぶまえ)知子さんの解説を聞きながら会場を回りました。マティスの作品とは深い縁があるというかれんさん。いったいどんな縁があるのでしょう――。(山根由起子)

 エキゾチックな室内に横たわるハーレム・パンツをはいた裸婦。会場に展示されている、イスラムのスルタンに仕える女性「オダリスク」をモチーフに描いた「赤いキュロットのオダリスク」(1921年)に桐島さんはじっと見入った。「私も民芸品や民族衣装が好きなので、この作品はツボにはまります。マティスの描くヌードっていやらしさがないのです」

 マティスはパリやアルジェリア、モロッコで入手したびょうぶや壁掛けなどでアトリエに舞台装置を作り、モデルの衣装を手作りすることもあった。

 この作品に思い入れがあるかれんさん。マティスは「オダリスク」をモチーフにいくつも作品を残した。桐島家でも、そのうちの一つ、「テラスのオダリスク」のリトグラフを祖父母、エッセイストで作家の母洋子さん、かれんさんの3代にわたって愛し続けてきた。テラスのある部屋で、バイオリンを手にした半裸の女性が座り、部屋の奥ではエキゾチックな服装の女性がまどろんでいる作品だ。

 絵画好きの祖父がパリで購入。その後、渡った上海の家では洋子さんの子ども部屋に飾られていたという。戦争の時に、いろいろな絵画を残したまま、逃げ帰らなくてはならなかったが、リトグラフの「テラスのオダリスク」はくるくる巻いて日本に持ち帰ってきた。戦後、桐島家では多くの絵画を売り払ってしまったが、洋子さんが気に入っていたこの作品は子ども部屋に飾られていたため、売却を免れ、手元に残った。その後、引っ越しを繰り返しても、家のリビングの壁にはこの絵が掛かっていた。

 かれんさんが高校生の時のこと。家にあった画集をぱらぱらとめくっていると、マティスのこの作品が目に飛び込んできた。「あれっ? マティスという人の絵なんだ」と驚いた。

 これをきっかけに美術に興味を持つようになり、美術館に行ったり、画集を買ったりするようになった。パリのオルセー美術館やニューヨーク近代美術館など海外の美術館にも行き、マティスの作品を鑑賞した。

 「今でもマティスが一番好きな画家ですね。マティスは心地よい『ひじ掛け椅子』のような芸術を目指した人でしたが、マティスの絵は部屋に飾ると気持ちが安らかになります。今も葉山(神奈川県)の家の玄関に『テラスのオダリスク』を飾っていて、帰宅した時にパッと目に入ると、幸せな気分になります」

 かれんさんは、葉山の築100年以上の日本家屋観葉植物や工芸品、アンティークに囲まれて日々の暮らしを楽しんでいる。その生活は、穏やかな日常を描いたマティスの絵画に通じるものがある。

「女性の幸せな空間を理解していた」

 会場を回りながら、かれんさんが「女性が好きなものがたくさん詰まっている」と見入っていた作品が「ニースの室内、シエスタ」(22年)だ。窓辺でまどろむ女性から、ほんわかした幸せ感が伝ってくる。「花、優しい日差し、きれいな壁紙、絨毯(じゅうたん)……。女性の幸せな空間をマティスは理解しているのですね」

 室内画の作品でかれんさんがお気に入りの「黄色と青の室内」(46年)にも、大きなつぼや果物、円卓、ひじ掛け椅子、葉のついたレモンなど、心地良いものが詰まっている。「カラフルなブルーとイエローのコンビネーションが素晴らしいです」

 「着物みたい」と、モデルならではの視点でかれんさんが引きつけられたのが「アルジェリアの女性」(09年)だ。太い輪郭で描かれた女性からは、何となく母性も感じられる。「北アフリカに滞在したり、ベルリン美術館所蔵の東洋美術を見たりした影響が、このエキゾチックな装飾性を持つ作品に表れています」と藪前さん。

 「すごくかわいい!」とかれんさんが見入っていたのが「若い女性と白い毛皮の外套(がいとう)」(44年)。「素敵なコートにドレス。マティスならではのセンス」

 マティスのアトリエ助手でもあり、晩年まで尽くしたモデルのリディア・デレクトルスカヤを描いた「座るバラ色の裸婦」(35~36年)。かれんさんは「優しい色使い。黒い輪郭線から色がはみ出しているのが不思議な効果で、動きが感じられます」。この作品は少なくとも13回の段階を経て、修正や再構築を繰り返して描かれたという。藪前さんが「顔が描かれていたのがうっすらと下に残っていますね。何回も重ねて描いています」と説明した。

認知症の母が輝く瞬間

 70代でがんに倒れた後、車椅子生活になったマティスが精力的に取り組んだのが切り紙絵だ。画文集「ジャズ」(47年)の道化やサーカス、カウボーイなど、踊り出しそうな作品も展示。かれんさんは「軽やかで即興的なリズムが感じられますね。色とフォルムでシンプルに見せるのは、実験を重ねてたどり着いたマティスの境地だと思います」。

 展示の最後の南仏ヴァンスのロザリオ礼拝堂のコーナー。マティスは建築や装飾などに心血を注いだ。2005年に当地を訪れたかれんさん。不自由な体で椅子に座り、長い棒の先に筆をくくりつけて描くマティスの写真をじっと見つめた。「車椅子生活になっても挑戦を続けたマティスは素晴らしいですね。ポップな感じの壁画やステンドグラスがカッコいい。こんなポップな作品を認めた教会もすごいと思います」

 海外の美術館で絵画を見るのが好きなかれんさん。ピカソは激情、クリムトは幻想的、ルノワールはロマンチック……。画家が女性に抱くイメージがそれぞれ違って感じられるという。「マティスの女性を見る目線は優しく、穏やかな日常の中にきらめきを見いだしています。それが見る人にとっても心地良いのです」

 かれんさんと桐島家にとって、縁が深いマティスの作品。アルツハイマー型認知症になり、記憶が薄れていく母の洋子さんを見舞うたび、「海外の美術館にマティスのコレクションを見に行こうよと言うと、母の目がきらっと輝くんです」。

 心地よい「ひじ掛け椅子」のようなマティスのアート。今も、かれんさんに希望や安らぎを与え続けてくれている。(山根由起子)

※作品の所蔵先はいずれもポンピドゥー・センター/国立近代美術館

     ◇

きりしま・かれん 1964年、神奈川県生まれ。学生時代にモデルを始め、87年に資生堂の化粧品CMに起用。モデルやラジオパーソナリティーなどで活躍。93年に写真家、上田義彦さんと結婚、4児の母。

 ◇マティス展 8月20日[日]まで、東京・上野の東京都美術館。午前9時30分~午後5時30分(金曜日は午後8時まで)。入室は閉室の30分前まで。月曜と7月18日[火]は休室(ただし、7月17日、8月14日は開室)。朝日新聞社など主催。一般2200円など。平日限定音声ガイドセット券(枚数限定)2750円、平日限定ペア券(枚数限定)4000円は7月28日[金]まで。高校生以下は無料。公式サイト(https://matisse2023.exhibit.jp/別ウインドウで開きます)。問い合わせはハローダイヤル(050・5541・8600)。

※チケットの販売方法及び入場方法については、最新情報を公式サイトでご確認ください。

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