能力不足は自己責任ではない 社会心理学者が暴く学校教育のごまかし
能力不足は自己責任ではない。学校教育は平等を装いながら、実は格差を正当化している――。社会心理学者・小坂井敏晶さんは、著書「神の亡霊」の一節で、学校制度のごまかしを喝破した。同書を引用した2020年東京大学「国語」の入試問題を本人に解いてもらう形で、その主張を掘り下げた。
こざかい・としあき 1956年生まれ。早稲田大を除籍となり81年に渡仏。パリ第8大学准教授を2022年に退官。著書に「矛盾と創造」「格差という虚構」「増補 責任という虚構」など。
森羅万象は神の影響下にあると考えられていた中世社会。対して近代社会は神の存在を否定し、代わりに私という主体を持ち、自由意志で行動する人間像を採用した。中世と近代の違いについて、このように考える人は多いだろう。
ところが小坂井さんは、近代は人間の内部に、疑問をはさむ余地のない中世の神のような存在を「でっちあげた」と考える。「死んだはずの神が姿を変えた。神の亡霊、神の擬態だ」。神の代用品として、人間の内部に捏造された自由意志こそが主体の正体で、それは「遺伝・環境・偶然という外因(外的要因)の相互作用が生み出す虚構」。“自由”の感覚は脳が作る幻影だという。
この問題意識に立ち、小坂井さんは様々な制度にひそむ不都合な真実を暴こうとしてきた。今回の出題元になった一節では、学校教育と「メリトクラシー」と呼ばれる能力主義のごまかしをテーマにしている。
機会を平等に与えれば、貧富の差は縮まり、公平な社会になる。これを建前として戦後教育は成り立ってきた。ここには、均等な機会で自由競争をすれば、結果として生まれる格差は正当で、それは自己責任だという能力主義の考えが潜んでいる。
学校制度の「平等」はまやかし
設問二は、本文で才能や人格の形成過程を検討した後に「自己責任の根拠は出てこない」としている理由を尋ねる。小坂井さんの解答は「外因の相互作用が人間の能力を育む。したがって格差を正当化する根拠は存在しない」。能力や人格も元をただせば、外因による。つまり勉強ができなくても、努力できなくても(努力できるのも能力)、本人に責任はない。
設問三はさらに畳みかけるように本文に登場する「メリトクラシーの詭弁(きべん)」の説明を求める。
小坂井さんの解答は「能力に…