市民感覚なき安保専門家が対話を閉ざす Re:で考える戦争と平和

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構成・吉田貴文

 国際政治学者・三牧聖子さんへのインタビュー記事「『私たちは安全圏』は本当か 気楽な強硬論と権威が対話にふたをする」(5月10日配信)で、三牧さんは「私たちの安全保障は語られていますか?」と読者に問いかけました。寄せられた声をもとに、三牧さんがさらに考えを深掘りします。安全保障をめぐる、「Re:」。

 その記事で三牧さんは、安全保障は、人びとの暮らしと直結する問題でありながら、得られる情報量が市民に比べて圧倒的に多い専門家による「専門知」の暴走が起きやすい分野であると指摘しました。メディアには、専門家が見落としがちな世論の懸念や不安をすくいとり、問題提起をする市民目線の報道がもっとほしいと提起しています。

平和の探求で発展した国際政治学だが

 三牧さんの問いに、70代の男性は「語られているとは感じていません」と回答を寄せました。さらに「専門知の暴走」にからみ、国際政治学に次のように疑問を呈しています。

 「国際政治学は、万人が万人に対して蛮行に走りたがっているという前提に立つと聞いたことがあります。戦争の文化そのもの。平和の文化には新たな学理が必要なのでしょうか?」

 三牧さんはこう答えます。

 【Re:】国際政治学は20世紀の二つの世界大戦の間に、世界戦争をどう防ぐか、平和をどうつくるかを探求するために成立していった学問です。「戦争の文化」を徹底的に究明することを通じ、「平和の文化」を打ち立てようとした学問といってもいいかもしれません。

 この方がおっしゃるように、人間には「蛮行に走りたが」る面があるのかもしれませんが、そうした闘争的な面は人間のすべてではありませんし、国際的なルールを定めたり、人的な交流を活性化させたりすることを通じて協力は可能です。そうした信念に立脚して、国際政治学は発展してきました。今日でも戦争はなくなっていませんが、戦争を乗り越えるための知恵や工夫を人類が発展させてきたこともまた忘れてはいけない事実だと思います。

 もっとも、国際政治においては「正義」と「平和」は容易に両立しない、ということも冷徹な事実です。「汚い平和」を考えなければいけない場合もある。アメリカを代表するリアリストで、国務長官などを歴任したヘンリー・キッシンジャーは、昨年5月のダボス会議で、和平のためにはウクライナの領土割譲もやむなしと考えているともとれる発言をして論争を呼びました。その後キッシンジャーは、領土割譲を意図する発言ではなかったと釈明しています。

 他国はもちろん、自国の兵士の犠牲すら顧慮することなく戦争を継続するプーチンとは、「正義ある平和」はもちろん、「汚い平和」の展望すらなかなか描けないという現状があるのかもしれません。ウクライナ戦争は可能な平和を探求するために発展してきた国際政治学にも、大きな挑戦を突きつけています。

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 6月21日に閉会した通常国会では、安保関連3文書に基づく防衛費増額をめぐり、野党から批判が相次ぎましたが、結局、首相が解散権をちらつかせるなか、「安易な増税につながる」と野党が批判した防衛財源確保法が成立しました。

 三牧さんはインタビューのなかで、防衛費の大幅な増額や敵基地攻撃能力などを盛り込んだ安保関連3文書は、市民に議論をひらくことなく性急に決定されたと批判。税金が軍事に使われることで、日々の暮らしや、少子化問題など日本が抱える他の危機はどうなるかと問題提起をしています。

防衛費増額と「安全」の中身

 60代の男性は「万が一、中国に攻められて死ぬ人と、生活苦にあって生きられない人のどちらが多いのだろう? こんなことを言うと、『現実を知らない。日本人としてどうか』と言われそうだが、こうした視点で国民が話し合うことが大切だと思う」という意見を寄せました。

 【Re:】大事な問題提起です。むしろこうした問題提起をすることがためらわれるような空気が日本にあるとしたら、それこそ問題だと思います。

 国民にとっての「脅威」は、軍事的な手段だけで対抗できるものばかりではない。使える財が有限である中、中国に軍事的に対抗するために防衛費を劇的に増やすということは、本来は経済成長や社会保障に使えるはずだった資源をその分、犠牲にすることでもあります。

 仮に防衛費を2%にしたとしても、係数をかけるGDP(国内総生産)、すなわち経済成長が伴わなければ防衛力は十分に向上しないし、経済的な停滞が進む中での防衛増税は国民生活を脅かしてしまう。個人の豊かさを示す1人当たりのGDPで、日本はシンガポールや香港に抜かれています。これも日本が向き合うべき「現実」です。

 防衛費増額が「安全」の名のもとに正当化されるとき、その「安全」は、具体的な市民、ひとりひとりの命や生活がしっかり含まれたものなのか。批判的に検討する必要があります。

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 別の60代の男性は「安全保障について、専門家と市民との対話は不可能だし、危険でもあると思います」とおたよりに書きました。情報量に差がある場合、専門家はどのようにでも世論を誘導できるというのが理由です。

 【Re:】社会を良くするために、専門知を生かすのが専門家のつとめです。そうであるからには、市民とのコミュニケーションも重要な役目です。異論や懸念を持つ市民に対して、専門知をふりかざして圧倒するような態度をとる人は、専門家とは呼べないのではないでしょうか。

 専門家は国家や権力との関わり方も問われます。日本の国内外で危機や問題が山積する現在、どうしても市民に負担をお願いしなければならない局面はある。だからこそ、専門家は市民の痛みや苦しみに人一倍敏感でなければならない。市民にさまざまな負担を背負わせる政策が矢継ぎ早に成立する昨今の日本は、市民感覚を持たない「専門家」が幅を利かせているということなのかもしれません。

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    蟹江憲史
    (慶應義塾大学大学院教授)
    2023年6月30日11時33分 投稿
    【視点】

    「社会を良くするために、専門知を生かすのが専門家のつとめです。そうであるからには、市民とのコミュニケーションも重要な役目です。異論や懸念を持つ市民に対して、専門知をふりかざして圧倒するような態度をとる人は、専門家とは呼べないのではないでしょ

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    市原麻衣子
    (一橋大学大学院法学研究科教授)
    2023年7月2日13時54分 投稿
    【視点】

    この記事がTwitter上で論争に発展しているようだが、三牧聖子先生が提示されているポイントは今日の国際政治学のあり方を考えるうえで非常に興味深い。市民に議論がひらかれなかったと三牧先生が指摘しているのは安保3文書についてであり、この場合の

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