とび職から全米トップ大学へ 元ヤンキーが語る「学び」の意味

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浅倉拓也
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 大手IT企業に勤める鈴木琢也さん(37)と初めて会ったのは9年前。日本の有名進学校の先生たちが米国のトップ大学を視察するのに同行取材した時だ。当時、受験実績がトップ級の進学校では、東大ではなく海外の大学に進学を志望する動きが広がりつつあった。

優しい笑顔で打ち明けた異色の経歴

 カリフォルニア大学(UC)バークリー校では、先生たちが日本人留学生数人と話をする機会が設けられており、その中に鈴木さんがいた。長身で優しそうな笑みを浮かべていた鈴木さんに、新聞記者だと名乗って声をかけると「僕はほかの人のような経歴じゃないんで」と、恐縮したように言ったのを覚えている。

 鈴木さんの経歴は、全米屈指の大学の日本人留学生としては、確かに異色だった。

 川崎市の出身。父親は外資系保険会社の営業マン、母親は仕事も家事も完璧にこなすという家庭だったが、中学に入ってすぐ「不良」になった。当時、両親が不仲で家庭の居心地が悪かったのが原因だと、鈴木さんは説明する。

 友達づくりがあまり得意ではなく、居場所を求めてヤンキー仲間たちとつるむようになった。仲間たちに認められるために悪いことを繰り返し、本格的な不良になっていった。警察には数えきれないほどつかまった。

 中学の卒業式に撮った記念写真には、金色に染めた髪を逆立てた鈴木さんが刺繡(ししゅう)入りの学生服を着た仲間たちと納まっている。

 偏差値では神奈川県で最低ランクという県立高校へかろうじて進学。アルバイトで買ったバイクを乗り回した。当時の夢は、先輩たちのように家庭を早く築くことだったという。

父の表彰式で知った隠れた努力

 高校を卒業すると、先輩の紹…

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