訃報2年以上伏せられた浜四津敏子さん 自公連立と平和主義への苦悩

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山田明宏

惜別 元公明党代表代行 浜四津敏子さん

 なぜ訃報(ふほう)が2年以上公表されなかったのか。改めて政治家としての歩みをたどり、私の脳裏に、平和主義の理想との乖離(かいり)に苦しむ姿がよぎった。

 1994年、非自民連立政権で環境庁長官として入閣。野党に転じた後、98年1月に参院と地方議員による「公明」代表に就くと、自民党政権の腐敗を批判し、「自民党と組むことはあり得ません」と主張した。一方で、白血病などの治療に使われる臍帯血(さいたいけつ)移植の保険適用を政府に求めて実現させた。

 98年11月に公明党が再結集する際には、党代表に推す声もあったという。

 神崎武法元党代表(79)は…

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    塚田穂高
    (文教大学国際学部教授・宗教社会学者)
    2023年5月31日20時27分 投稿
    【視点】

    ・・・公明党と日本社会の「変化」「変質」を象徴的に証明する存在か 公明党代表代行まで務め、激動・激変の時期を過ごした浜四津敏子氏の貴重な証言。「自衛隊イラク派遣は「平和の党が戦争に賛成するなんてできない」」、「(安倍政権については)「

    …続きを読む