「普通の味。それが良い」 名物カツ丼、忠実に守った評論家の一言

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笠原真
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 サクサクの衣に、ほどよい厚さの豚ロース。甘じょっぱい秘伝のつゆに入れたら、とろっとした卵でとじて――。

 そんなカツ丼を名物に、長年愛されてきた東京都杉並区・西荻窪の「坂本屋」が、27日で閉店する。家族3代で守ってきた看板を下ろす時。創業から、ちょうど100年になる。

「家庭の味なのに、家じゃ絶対作れない」

 JR西荻窪駅北口から徒歩2分、下町風情が残る北銀座通りの一角。閉店4日前の23日、本来の営業時間の後も客が途切れず、20メートルほどの行列ができていた。

 「もう食べ終わっちゃったよ」「食べられなくなるなんて寂しいね」。10人ほどが入れる小さな店内から、客の声が漏れた。区内に住む歯科医、松本敏さん(71)は、15年ほど前から月に1度は通う常連客。「ほっこり家庭の味なのに、家じゃ絶対作れない」。坂本屋ではカツ丼しか食べたことがない。「また最終日の土曜に来るよ」と言い、店を後にした。

 関東大震災が起きた1923(大正12)年の創業。初代は、現店主で3代目の川端敏雄さん(75)の母方の祖父母、坂本栄三さん・志やうさん。敏雄さんによると、震災の前か後かははっきりしないが、当時菓子メーカーに勤めていた栄三さんが団子などの和菓子を仕入れ、志やうさんと駄菓子屋を始めたという。

 かつて、北へ約1キロの場所に旧日本軍の戦闘機を製造した中島飛行機の工場があった。「商才があった」という志やうさんの機転で、いなりずしやのり巻きなどの軽食も売り出し、通勤客らで繁盛したという。

名物カツ丼の「火付け役」は、著名な料理評論家の山本益博さんでした。1990年代、坂本屋を訪れた山本さんが店に伝えた「一言」とは。

 定食屋になったのは、店の2代目で敏雄さんの両親・久雄さんと多まさんの時代。オムライスやカレーライス、麺類とともに、カツ丼も始めた。

 敏雄さんは1970年代中頃…

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