吉永小百合も佐藤栄作もあの人も…ジャンプ! 週刊朝日飾った27枚

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大和久将志
【動画】60年前の週刊朝日の企画「ジャンプ'63」。驚くような著名人の跳ぶ姿がグラビアを飾った
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 日本の週刊誌の草分けで昨年2月に創刊100年を迎えた「週刊朝日」が5月30日発売号を最後に休刊となる。1950年代には発行部数が100万部を超え、週刊誌ブームをリードした。

 こうした勢いそのままに63年、新年から3号にわたって「ジャンプ’63」と題した特集がグラビアを飾った。「新年の飛躍を期したい」という趣旨で、各界のスターら約100人が次々跳ねた。

 記事では「突飛(とっぴ)なお願いをここちよく受けていただくだけの機知に富んだセンスの持ち主」と紹介している。

 掲載時の肩書が「代議士」だった佐藤栄作は、翌64年11月から7年8カ月にわたって首相を務めた。60年まで首相だった兄・岸信介の孫にあたる安倍晋三元首相に抜かれるまで連続最長の長期政権だった。

 62年に公開された映画「秋刀魚(さんま)の味」を監督した小津安二郎は、この写真の撮影から約1年後の63年12月12日、60歳を迎えた誕生日にこの世を去った。62年公開の映画「キューポラのある街」で主演を務めた吉永小百合は、写真撮影時まだ17歳だった。

 俳優の森繁久弥は「バレーの素養があるところをお目にかけようか」と言い、俳優・歌手の越路吹雪宝塚歌劇団トップスター出身らしく華麗に跳躍した。

 61年、舞台「放浪記」で41歳にして初の主役に抜擢(ばってき)された森光子には「正月用の写真」としか伝えていなかったため、盛装したまま跳んでもらっている。森は放浪記を2009年まで2017回演じ、単独主演での国内最多上演記録となった。

 すでに関西財界を代表する存在だった松下幸之助らに対して、東急グループ総帥として後に日本商工会議所会頭も務める五島昇はまだ40代。「だれもやったことのない飛び方」を本人が考え、「約15メートルの助走をつけ、みごとな離陸、水平滑空、胴体着陸というはなれわざを敢行した」。撮影のためにふつうは3回跳んでもらうところ、2回しか頼めなかったという。

 撮影前の62年10月、プロ…

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