「夫です。」タスキをかけ街に出た 妻が立候補、私が見た日本の選挙

有料記事Re:Ron発

写真家・岡原功祐(寄稿)

連載「妻が立候補しました」(上)

 「決めた。私、選挙に出る」。昨年8月のことだ。

 2023年春の統一地方選で、女性候補躍進のニュースが躍った。私の妻もその一人となり、区議選に当選した。

 夫の私は彼女の活動をサポートした。女性議員が増えてほしいという気持ちもあったし、なにより愛する妻を支えたかった。今まで知らなかった選挙の内情を知ることができて、興味深い経験ではあったが、それは家族にとっては想像以上に、負担が大きいものであった。最初はまさか自分が、「夫です。」タスキまでつけて街頭に立つことになろうとは、考えもしなかった。

 写真家の私は、かつてパリで暮らしていた。帰国後に結婚。数年して妻が会社を退職したタイミングで、今度は2人でパリに移住した。

 その間に、パリで初の女性市長が誕生した。当時のドイツ首相アンゲラ・メルケルは15年の難民危機で受け入れの先頭に立ち、日々のニュースの主役だった。同じ年、パリのバタクランではテロが起きた。私たちは、まさに国際政治が展開するど真ん中にいた。

パリに住み感じた「政治はひとごとではない」

 私たちはいわゆる移民で、政権のさじ加減一つでビザの発給にも影響が出る。外国人であるからこそ、政治はひとごとではなかった。そんな環境の中、妻は日本の政治ニュースを見ては、「私がやったほうがいいんじゃないか」と思うようになっていった。

 帰国後、妻は、パリテ・アカデミーという女性政治家養成団体の講座を受けるようになった。当時住み始めたばかりの京都から、夜行バスで東京に通った。

 そして4年が経ったのが昨年の8月だ。妻は政治家になると決心した。

 38歳の妻が以前から興味を持っていたのは、子育て政策や性差別の解消だ。それらに取り組めるのか、引っ越しの煩雑さはどうか、生活や仕事の環境としてはどうか。いろいろな条件を加味した結果、妻は、私が生まれ育った東京都練馬区で出馬することを決めた。

 私たちには1歳の子どもがいるが、私の母も喜んで協力すると言う。私は10年以上も東京を離れていたので、しばらく仕事面では簡単ではないだろう。

 練馬区は待機児童ゼロをうたっていたが、私たちの子どもはしっかりと待機児童になった。区役所に行くと「自営業ですし、家で面倒、見られますよね?」と言われ、怒りがこみ上げてきた。「役所がこんなことを言うまちで育ったのか、俺は」

 妻は立憲民主党から出馬することになり、今年1月から政治活動を始めた。現役の議員たちが集まる初めての選挙対策会議で、「夫がフルサポートします」と妻は言った。妻が言うフルサポートは、多分、フルタイムの半分くらいの意味で、その場にいた議員の中には、もう少しフルタイムに近い意味を考えていた人もいたと思う。

 その場にいた議員は3人。いずれも男性だ。風通しは良く、皆優しかったものの、男性議員しかいない選対会議を見回して「男しかいない……」と、私は不安を覚えた。

選対会議で言われた「お話になりませんね」

 妻が今後の予定を見せると、一人が言った。「お話になりませんね」

 他の2人が遠慮して口をつぐ…

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    能條桃子
    (NOYOUTHNOJAPAN代表)
    2023年5月27日10時0分 投稿
    【視点】

    4月の統一地方選挙でも、女性の当選が目立った一方でやはり女性議員の割合をみると市議会でも2割程度。まだまだ3割すら超えない。この理由の一つに、これまで男性議員たちが当たり前に家事、ケアを担ってくれる女性が家にいることを前提に議員活動をしてき

    …続きを読む
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    長野智子
    (キャスター・ジャーナリスト)
    2023年5月27日11時30分 投稿
    【視点】

    「夫です。」の立場から見た選挙活動によって、現状の選挙活動のナンセンスさが可視化されていて、多くの方に読んでほしい記事です。日本の朝から夜までの辻立ち、名前をただ繰り返す選挙カー、畑に向かって演説、おじぎは私も何度も取材してきましたが、これ

    …続きを読む
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