80年代の漫画が仏で受賞 大戦時のユーゴ描いた「石の花」に再び光

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黒田健朗 田島知樹
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 第2次世界大戦下のユーゴスラビアを描いた坂口尚(ひさし)さん(1946~95)の漫画「石の花」が今年、「漫画のカンヌ」と呼ばれるフランス国際漫画賞を受賞した。80年代に連載された作品になぜ今、再び光が当たっているのか。ウクライナで戦争の脅威が現実になったことだけではない、時代を超えて人々を引きつける魅力とは。

「漫画のカンヌ」で遺産賞に

 「おい、飛行機の編隊だ!」。遠足帰りの子どもたちが、うれしそうに空を見上げる。

 飛行機は急激に高度を下げ近づいてくる。そして、機関銃から嵐のような銃弾が降り注ぐ。主人公のクリロは難を逃れたが、ほかの子どもたちは全員撃ち殺された――。

 舞台はナチスドイツの侵攻を受けた1941~45年のユーゴスラビア。共産党を中心としたパルチザンに入り抗戦するクリロや、二重スパイの兄、収容所で過酷な生活を強いられる幼なじみ、屈折した理想に燃えるナチスの軍人らの人間模様が重層的に展開され、戦争の愚かさを強く訴える。

 この作品が、映画界でいう3大国際映画祭の最高峰・カンヌに例えられる仏アングレーム国際漫画祭で、今年1月、「遺産賞」に選ばれた。後世に残したい作品に贈られる賞で、日本からは過去に水木しげるさんや上村一夫さん、楳図かずおさんらが受賞している。

 「石の花」は90年代にフランスで出版されたことがあり、昨年10月にも仏語の新装版1巻が刊行。画力に秀でた坂口さんの作品は従来、漫画に芸術性を見いだす現地の業界人からの評価が高かった。今回の受賞はそれに加えて「今、欧州では戦争が身近に感じられる話題」と、ロシアのウクライナ侵攻が影響したと翻訳家の鈴木賢三さん(51)はみる。

 鈴木さんも関わった新装版は、20年夏ごろから刊行の計画を進めていたが、その後ウクライナ侵攻が勃発。偶然刊行に重なったという。鈴木さんによると、刊行に携わった現地の出版人も、「(仏語版1巻の)表紙のハーケンクロイツはフランスの人々に戦争を想起させる。審査員も注目するきっかけになるはずだ」と語っていたそうだ。

 坂口さんはアニメーターとして手塚治虫さんの作品に携わったほか、叙情性のある短編漫画の名手としても知られ、83~86年に漫画誌「コミックトム」(潮出版社)で連載した「石の花」は初の本格的な長編作品だった。

 当時の担当編集者、浮田信行さん(70)が「抵抗する側からの戦争漫画」を打診したところ、坂口さんが返してきたテーマがパルチザン闘争だった。「巨大なものに立ち向かう側からの戦争の意味と、人間の尊厳を描き出そうと、ナチスドイツに対する抵抗運動を素材にすることになりました」(浮田さん)。坂口さんは執筆にあたってユーゴ情勢の専門家に話を聞き、連載中には現地を訪れ、作中に「石の花」として登場した巨大な石柱がある鍾乳洞も取材。仕事部屋の机上には関連書がうずたかく積まれたという。

ユーゴは「この世界の縮小版」

 読者にとって身近ではない第2次世界大戦時のユーゴという舞台設定に、当初は浮田さんにも不安があった。だが、反戦・非戦を描く物語は時代を超えて愛された。22年にKADOKAWAから新装版が出版されるなど、国内ではこれまでに複数の出版社から計5回復刊されている。

 遺族ら関係者は今回の受賞を喜ぶ一方、戦争が続く中、複雑な気持ちもあるという。

 坂口さんの妻(69)は夫について「東京の下町生まれで権威を強く嫌い、国境や人種、マイノリティーなどの普遍的なテーマを描くことにこだわりを見せる人だった」と振り返る。寡黙で自作についてほとんど語らなかったというが、88年に雑誌「波」10月号(新潮社)へ寄せた「なぜ漫画でユーゴを描いたのか」という文章で、「五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国」などと称されるユーゴの「複雑な環境」に触れ、「この世界の縮小版と言える」と語っている。

 同じ文章で坂口さんは、ユーゴを訪れた際、作家の集まりに呼ばれ、スピーチをしたことにも触れている。残されたスピーチ原稿によると、ユーゴの美しい自然に魅了され、戦争について「自然破壊を、確実にかつ強烈に、行うものであり、そしてそれは人間によって引き起こされる悪であります」と語り、こう続けた。

 「どこの国でも人間が何人か集まれば意見も異なり、けんかが始まる可能性がある」「私は、宇宙船『小さな地球』号の乗組員について、考えをめぐらしたいと思います。乗組員、すなわち我々人間は、この『小さな地球』上にあって、その存在の持続のために、精一杯の努力をすべきです」

ナチスドイツだけを悪としない

記事の後半は、「石の花」に影響を受けてユーゴ研究者となった男性が、作品の魅力を語ります。

 複雑な歴史を描くのは一筋縄…

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