遠くなった昭和がここに 富山・氷見昭和館
ブリキのおもちゃ、ジュークボックス、スバル360――昭和を彩った品々が並ぶ館内。記者は「ぎり昭和」の昭和62(1987)年生まれの35歳。当然、昭和の記憶はない。なのに館内に入るとなぜか懐かしさを感じる。平成、令和と時代は変わり、昭和は遠くなりつつある。けれど、ここへ来ると古き良き時代の空気を感じることができる。
富山県氷見市内の県道を車で進み、枝道に入って少し行くと、年季の入ったホーロー看板が並ぶ「氷見昭和館」が見える。
入ってすぐの「ゲームコーナー」にはスマートボールやインベーダーが並び、往年の名作映画のポスターが壁を埋める。白黒テレビに映るのは、昭和38年(1963年)の力道山とザ・デストロイヤーの一戦。隔世の感が否めない。
その先を進むと、こんな貼り紙が見える。「この引き戸をくぐると、昭和時代にタイムスリップ」
たばこ屋、駄菓子屋、電器屋――昭和30~40年代の「商店」が軒を連ねる。館長の蔵田幹善さん(72)が子どものころに見た光景をもとに、1、2階合わせて計20店を再現。各店には懐かしの品が所狭しと並ぶ。
半分は蔵田さんが20年にわたって買い集めたもの。残り半分は寄贈されたり、求めに応じて買い取ったりしたものだというが、「展示数? 数えたこともない」と笑い飛ばす。
収集のきっかけは、氷見市役所に勤めていた20年ほど前、同僚がお釣りでもらった昭和20年代製の穴のない五円玉。子どものころに見た品に心が躍った。300円で手に入れ、ネットオークションで古い硬貨や紙幣を買い集めるようになった。
次にハマったのがホーロー看板。民家の壁の看板を譲ってもらおうと、繰り返し足を運んだことも。自宅は足の踏み場もなくなり、保管場所にと、近くの空き店舗を購入。定年退職直後の2011年4月29日の「昭和の日」に、妻正子さん(70)と同館を開いた。退職金の大半は建物代と改装費に消えたという。
当初は喫茶店がメインで、展示は「ついで」だった。「商店」も三つだけで無料で見せていた。だが、その展示目当てに訪れる人が絶えず、話題のスポットになった。
その後、昭和の「香り」がするものなら「何でも集めるようになった」と蔵田さん。県内外から「思い出の品を譲りたい」との連絡も増え、県外で駄菓子屋を営んでいた高齢の女性からは、「安住の地が見つかった」と保管していた商品などが送られてきた。市内の食堂や床屋が閉店する際には、備品を譲り受けて館内に再現。思い出を残す場にもなっている。
収集の財源は入館料と似顔絵料だ。30年ほど前、上司の横顔が「面白い」と描き始めたところ評判に。地元のイベントなどにも呼ばれ、これまでに2万人以上、来館者だけでも1万人以上を描き上げた。開館後のお代は総額約1千万円にのぼるが、すべて昭和の「お宝」に化けた。
「懐かしい」「昔買いに行ったなぁ」。来館者が話に花を咲かせる姿を見るたび、蔵田さんは「そうやろ、そうやろ」と心の中でほくそ笑むという。若い世代の来館も珍しくなく、正子さんは「若い人たちと話せるのも楽しい」と話す。
開館から12年。来館者は計約7万人にのぼり、半数が県外からだという。蔵田さんは、氷見では氷見漁港場外市場「ひみ番屋街」に次ぐ名所だと言い、「ここは心の土産屋。来た人に喜んでもらえたらいい」と胸を張る。
コレクションは増え続けており、常に新たな発見があるという。そのため、来館者には「2年に1回は来てください」と呼びかけるそうだ。
21年4月には、斜め向かいの空き店舗に「氷見平成館」と「昭和館分館」をオープン。平成館では、流行した遊戯王のカードやたまごっち、寄贈された2千個余りの世界のマグカップなどを展示する。近くには、「氷見令和館」と名付けたライブハウスも持つ。
「昭和館も狭くなってきた。もっと楽しくするには大きい場所がいいなぁと。成長とともに大きいものを求める。ヤドカリやね」
蔵田さんは3館をまとめた施設の構想を温めている。その名も「氷見レトロ館」。氷見一の名所になるのも夢ではなさそうだ。
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氷見昭和館 富山県氷見市柳田526の1。午前9時~午後6時(最終入場午後5時)。高校生以上600円(氷見平成館は300円)、中学生以下400円(同200円)、乳児(未歩行)無料。営業は土日祝日だが、予約すれば平日も見学できる。問い合わせは電話(0766・91・4000)。ホームページ(https://himishouwakan.jimdofree.com/)もある。