陸前高田の「テンバコ」、12年かけ2千キロ漂流? 宮古島で発見

宮脇稜平
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 沖縄県宮古島市のビーチで観光客が見つけた青いプラスチックの箱。そこに記されていた地名は、なんと、はるか2千キロ離れた岩手県の「陸前高田市」だった。どうして、そこに?

 箱は3月19日、漁港に近い浜辺にうち上げられているのを観光客の男性が発見した。男性がSNSに投稿したところ、その情報を宮古島市総合博物館の湯屋秀捷(ひでとし)さん(26)が見つけた。湯屋さんは男性とやり取りし、場所や形状を確認しながら同21日に回収したという。

 箱の側面には「陸前高田市教育委員会」と記されていた。同市に照会した結果、陸前高田のものとわかった。箱は、東日本大震災の津波で流出したとみられている。

 大きさは縦約41センチ、幅約56センチ、高さ約28センチ。「テンバコ」と呼ばれ、博物館の資料の保存や運搬に使われるものだとみられている。

 湯屋さんは男性のSNSを見て、箱がテンバコであると思い、「回収できるのは博物館しかない」という使命感から回収にあたったという。

 約2千キロを流れ着いたとみられるが、一部がへこんだり、割れていたりする程度で、全体の形は保たれていた。湯屋さんは「震災後12年という年月を鑑みると、もっと壊れていてもおかしくはなかった」と話す。

 また、箱の外側の底面にはサンゴが付着していた。日本国内の生息の北限が屋久島周辺の種とみられるといい、箱は南の暖かい海を流れていた可能性があるとみている。

 箱は宮古島市総合博物館で展示した後、陸前高田市に返却する予定だ。

 湯屋さんは「12年経って小さなコンテナが流れ着いたことに驚いている。回収して(陸前高田市に)戻せるというのは、地域の博物館としての役割を果たせたと考えている」と語る。

 これに対し、陸前高田市立博物館の浅川崇典学芸員(33)は「放っておけばそのままだったものを、確認して返却してもらえるのはありがたい。今後しっかりと保存していきたい」と喜んでいる。(宮脇稜平)

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