漁の守り神だった木像の弁財天像 津波被害から修復、お披露目 大槌

東野真和
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 東日本大震災の津波で損傷した岩手県大槌町の漁の守り神、弁財天像などの木造文化財が修復され、2日、町文化交流センターでお披露目された。江戸中期の1707(宝永4)年に作られた厨子(ずし、高さ58センチ、幅49センチ、奥行き38センチ)、その中に入っていた弁財天の座像(高さ35センチ)と童子像15体(同9センチ)、1759(宝暦9)年に作られたキツネ像2体が修復された。

 弁財天像は、江戸時代に盛岡藩の財政を支えた大槌の豪商・前川善兵衛の3代目が家業の水産業繁栄と漁の安全を祈って作らせたものだ。当初は「ひょっこりひょうたん島」のモデルとされる大槌湾の蓬萊島にまつられていた。その後、島には別の弁財天像が置かれ、前川家の守り神の前川稲荷大明神に移された。

 震災では、津波が社殿の壁を突き破って、中の文化財が被害を受けた。前川家11代目当主の友良(ともちか)さんと妻アイさんも犠牲になった。遺族は盗難を恐れて木像を自宅に持ち帰ったが、修理する余裕はなかった。そこで、被災した文化財を調査していて存在を知った県立盛岡農業高校教諭の佐々木勝宏さん(61)が住友財団に助成金を申請し、185万円を受けて修復した。

 修復にあたった奥州市の技師・那須川善男さん(49)によると、弁財天像は柔和な表情で、金色の神秘的な目が特徴。厨子や像の隙間に入った砂を丁寧に取り除き破損箇所を直した。童子像は15体のうち消失した3体を新たに彫った。

 13代目の前川寛さん(46)は「幼い頃から見て来た弁天様なので感慨深い。町の財産として役立ててほしい」。前川家ゆかりの同町の吉祥寺に下旬まで展示される。佐々木さんは「前川家は自分の商売だけでなく地域全体の繁栄を目指していた。震災復興の理念と通じる」と話した。東野真和

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