旗印は「欣求浄土」、熱心な信者だった家康が京都に築いた大伽藍

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筒井次郎

知恩院(京都市

 「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、極楽に往生できる――。戦乱が相次いだ平安末期に法然(1133~1212)が開いた浄土宗。総本山は、京都・東山の知恩院(ちおんいん)だ。

 高さ24メートルの堂々とした三門(国宝)をくぐると、その先は「男坂」と呼ばれる51段の急な石段が待ち受ける。息を切らして登り、広々とした境内に到着。目の前に威容を誇る本堂の御影堂(みえいどう、国宝)が現れた。幅45メートル、奥行きは35メートル。知恩院によると、木造建築としては、東大寺大仏殿などに続く、全国5位の大きさ(床面積)だ。

 大きな瓦屋根をよく見ると、てっぺんに4枚の瓦が置かれている。「発展途上である」ということを示しているそうだ。

 堂内は、多くの参拝者が入れるようにと、広い空間が広がる。正面中央の黄金に輝く厨子(ずし)は「宮殿(くうでん)」と呼ばれ、法然の御影(木像)がまつられている。

 毎日朝6時半と午前10時20分から法話を聴くことができる。偶然聴く機会を得たが、まるで落語のような滑らかな語り口。最後に参拝者と一緒に10遍唱える「南無阿弥陀仏」が、堂内に響いた。

 境内は、比叡山で修行した法然が山を下り、草庵(そうあん)を結んだ地とされる。法然は晩年、弾圧で四国に流されるが、79歳の時に再びこの地に戻り、翌年亡くなった。その地には勢至(せいし)堂と御廟(ごびょう)が立つ。

寺紋は徳川家と同じ「三つ葉葵」

 知恩院は、徳川家と縁が深い。

 浄土宗の熱心な信者だった家…

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